「平野レミさんはいまだに『下品すぎ』と言われますが(笑)」相手に恵まれたものまね芸、大失敗のネタも… 清水ミチコが大舞台で見つけた“自分”

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第1回【清水ミチコが語る「ものまね」芸の原点 山口百恵でファンを作った中学時代、高校では夜な夜な桃井かおりを“特訓”】のつづき

 東京・渋谷の小劇場「渋谷ジァン・ジァン」での「モノマネ講座」を成功させ、テレビの世界に進出した清水ミチコ(66)。その年に結婚し、公私ともに順風満帆かと思いきや、人気番組に出演したことでの苦悩もあった。だがそれを乗り越えて、現在の清水ミチコが確立したともいえる。

(全2回の第2回)

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苦悩を吹き飛ばした「伊集院みどり」

 1986年に「モノマネ講座」の舞台に立ち、1987年4月にはフジテレビ系の深夜番組「冗談画報」にゲスト出演した。さらにその半年後には「森田一義アワー 笑っていいとも!」(フジテレビ系)のレギュラーに選ばれた。憧れたタモリとの共演が実現したのだ。

「いいとも」には2度目のレギュラーも含め、計4年半、出演した。同時に、コントを中心としたバラエティー番組「夢で逢えたら」(同)で世間の認知度が高まった。番組は人気を誇り、清水も多忙の只中にいたが、この時期には悩みもあったという。

「コントなんて、言われたことをやればできると思っていたんですけど、いざ(「夢で逢えたら」の)仲間と一緒にやってみると、未経験の世界だったし、アドリブも利かない、想像と違う難しい世界で苦労しました。まあ、今思えば、ものまねもやらなかったし、音楽的なこともそれほどしていなかったからだとは思います。ライブなら自分の得意ジャンルをどんどん見てもらえるんですが、コント番組ではそんなにできなかったから。自分で自分を窮屈にしているところがありましたね」

 そんな懊悩から解放してくれたのは、自身がコントで演じた「伊集院みどり」だった。ロングヘアーに赤いボディコン風の衣装を着た、眉毛の太い、強烈なキャラクターだった。

「あのキャラクターで扉が開いたというか、息ができるようになったというか。(それまでは番組の)注目も大きかったですから」

本当の自分を出せるようになってきた武道館公演

 ただし、伊集院みどりを経て、自分を出せるようになったかと尋ねると、首を横に振る。それができるようになったのは、2013年、日本武道館でのライブ以降のことだという。

「武道館ライブでは、公演時間の2時間の構成を考えなくちゃならないわけです。そのとき「音楽」と「笑い」と「ものまね」の3本柱が、自分の一番の武器なんだと再認識して。そう考えるとやはり、本当の自分を出せるようになったのは武道館ライブを始めた50代以降からですかね」

 ミュージシャンの聖地とも呼ぶべき大舞台の機会は、もともと別のアーティストが予定していた公演がキャンセルになり、お鉢が回ってきた。「私で大丈夫でしょうか?」と清水は尋ねたというが、イベンターとしても賭けで清水に白羽の矢を立てたわけではない。その時すでにキャパシティ約2,000席を誇る渋谷公会堂(現・LINE CUBE SHIBUYA)の4回公演をいずれも満席にする実績を積んでいたからだ。とはいえ、やはり武道館は武道館。最初のステージでは緊張に震えたという。

「あがっていないふりをすることで精いっぱいでしたよ(笑)。毎年やっていますが、5、6回目からかなあ、あがっていないふりも身についたというか」

 今年も1月3日に、満員の観衆を前にしての武道館公演を成功させた。だがそこに胡坐をかいているわけではない。

「やっぱり歌手は羨ましいですよね。ヒット曲や得意な曲があれば、それで行けますからね。一方、お笑いはその年にあった出来事をネタにしたり、常に新ネタを求められたりするので、そこはしんどいなと思うときがありますね(苦笑)」

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