『太陽を盗んだ男』長谷川和彦監督、最期まで消えなかった意欲 「体が弱っても連合赤軍の話を」【追悼】

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は1月31日に亡くなった長谷川和彦監督を取り上げる。

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電話帳ほどの厚さの脚本が……

 沢田研二演じる中学校の理科教師が、一人で原爆を完成させ日本政府を脅迫。菅原文太が扮する刑事との息詰まる対決が展開される……。1979年に公開された長谷川和彦監督の「太陽を盗んだ男」は70年代を代表する邦画と今も名高い。

 映画評論家の垣井道弘さんは振り返る。

「スケールの大きな日本映画が登場したと衝撃的でした。原爆を扱いながらアクション満載の娯楽作品です。荒唐無稽な物語でも人物をきっちりと描き、原爆を手作りする様子も丁寧に表現。細部にまで目配りがあった」

 映画プロデューサーで、トライストーン・エンタテイメント会長の山本又一朗さんは同作のプロデュースに携わって以来、親交が続いていた。

「電話帳ほどの厚さがある脚本が送られてきた。ぐいぐい押してくる面白さと熱量がありました。理屈抜きにお客が楽しみ売れる映画を目指す点は私とも全く同じでした。監督は誰にでもはっきりものを言う。予算オーバーなどでずいぶん言い合いになり、相米(慎二)さんに“外で闘って決着をつけて下さいよ”と言われたこともある。作品に思いの丈をたたき込んでいた。今後の日本映画を背負っていくのは長谷川しかいないと感じたものです」

 だが以来、45年以上新作を発表せず“伝説の監督”と呼ばれるようになる。

加害と被害の双方から

 46年、広島県生まれ。原爆は自身のテーマでもある。母の胎内で被曝したため、長くは生きられないと思い込んでいた。映画監督を志し、東京大学文学部に進む。

 今村昌平監督の「神々の深き欲望」(68年公開)の撮影現場に長く携わり大学を辞めてしまう。日活で下働きをするうち脚本を書ける助監督として重宝された。フリーの立場で76年、「青春の殺人者」で監督デビュー。親を殺した若者(水谷 豊)と恋人(原田美枝子)の心理描写が絶賛され、一躍時の人に。3年後の2作目が「太陽を盗んだ男」だ。

 一線を越えた個人に興味があり、ウジウジと生きる普通の人間が起こす非日常を痛快に描きたいと語った。

 映画評論家の北川れい子さんは思い返す。

「沢田演じる教師は原爆で脅迫する加害者であり、製造中に放射能を浴び体をむしばまれた被害者でもある。加害と被害の双方から個人を描こうとした。社会派の気難しい人ではなく好かれた。取材では好きな猫のことを楽しそうに話していた」

 3作目も期待されていた。

「自分が監督する以上、次作はこうでなければダメだと自己否定してしまった。高い理想というより自分に対して許せないとのこだわりです。頭が良いだけに自分の図式であれこれ考えるうちに空回りが始まったと感じました。肩の力を抜いてドンドン撮れば気付くこともある、長谷川らしさと両立できる、と何度話しても動かない」(山本さん)

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