全く活躍できなかった有望株も…高卒でエースナンバー「18番」を背負った男たちの“明と暗”
偉大なる先輩たちに続くことができるか
2018年夏の甲子園準優勝投手、吉田輝星も、日本ハム時代は通算3勝9敗5ホールドとドラ1の期待に応えられなかったが、新背番号「23」で仕切り直しとなったオリックス移籍1年目の24年に4勝14ホールドと存在感を示した。
甲子園組では、石垣のロッテの先輩にあたる伊良部秀輝も、1988年にドラフト1位で入団すると、前年まで石川賢(大洋に移籍)が着けていた18番を受け継ぎ、1年目に1軍デビュー。当時は“村田兆治2世“と呼ばれた。93年に当時の日本最速158キロをマークし、94年に15勝で最多勝のタイトルを獲得し、日米通算106勝を記録した。
異色なのは、1984年にドラフト1位で阪急に入団した阪急・野中徹博だ。肩や肘を痛め、6年目に野手に転向、背番号も「0」に変わったが、89年限りで自由契約となり、一度は現役を引退した。
だが、草野球チームでプレーしたことがきっかけで、93年に台湾プロ野球の俊国で現役復帰。15勝4敗1セーブの好成績を手土産に、94年に中日入りし、ヤクルト時代の97年に阪急入団から14年目にしてプロ初勝利を手にした。
エースナンバーの重圧に苦しんだ投手も多い。
阪神のドラフト1期生の“隠し玉”1位・石床幹雄は、入団4年目の1969年10月12日の大洋戦でプロ初勝利を挙げた直後、慢性腎不全と判明し、志半ばで球界を去った。
1977年にドラフト1位でヤクルトに入団した酒井圭一は、“サッシー”の異名をとる剛腕だったが、14年間で通算6勝と大成できずに終わった。同じくヤクルトでは、2017年に入団したドラ1左腕・寺島成輝は、在籍6年で通算1勝3ホールドと伸び悩んだ。現役では5年目を迎えたDeNA・小園健太も今季が正念場となる。
入団発表の席で「球速170キロを投げて日本中を驚かせたい」と堂々と宣言した石垣が偉大なる先輩たちに続くことができるか注目したい。
[2/2ページ]

