「正座しても背筋がピーン」、死去1カ月半前に「家でステーキ」…87歳で死去した淡島千景さん、遺作が「渡鬼」になった“余程の事情”

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傑出した演技力があった

 元々、淡島さんは戦中・戦後、宝塚歌劇団の娘役トップスターとして活躍していた。その後、映画界に転じ、1950年「てんやわんや」でデビュー。1955年、森繁久彌さんと共演した「夫婦善哉」などで、その演技力が高く評価された。

 映画評論家の白井佳夫氏はこう絶賛する。

「彼女が他の女優と違うのは、商業映画だけでなく芸術派や社会派、どんな映画に出ても『淡島千景』という存在感を常に放っていた点です。傑出した演技力があったということ。しかも、宝塚出身なので舞台もできたし、テレビドラマと変幻自在にやっていらした。最後まで第一線で活躍し、これだけ長い間、観る人に愛された女優はほかに思いつきません」

 1988年に紫綬褒章、1995年に勲四等宝冠章を受章した。出演した映画は、じつに200本以上に上る。

 遺作となったのは「渡鬼」である。プロデューサーの石井ふく子さんは、淡島さんと60年近くの付き合い。昔から淡島さんを本名の“慶子さん”と呼んでいる。

「慶子さんは、美味しいものを食べるのが好きなくらいで、これといった趣味もなかったと思います。いつも演技のことを考えている方でした。お年なのに正座しても常に背筋がピーンと張っていました。立派なものです」(石井さん)

「渡鬼」に出演した“余程の事情”

 淡島さんは、「渡鬼」では、小島眞(えなりかずき)の会社の先輩、長谷部力矢とその妹、まひるの祖母、マキを演じ、全47話中、計10話に登場した。収録は8月末まで行われた。

「以前と比べ、だいぶお痩せになられたので、最初は大丈夫かなと思いました。でも、凜とした演技はいつも通りでしたし、長台詞もものともせず、しっかり演じていました」(石井さん)

 さすが、日本を代表する大女優である。演技は少しも衰えていなかったようだ。もっとも、淡島さんが「渡鬼」に出演することになった背景には、こんな事情があった。

「そもそも淡島さんが『渡鬼』に出演することになったのは、石井さんが淡島さんから頼まれたからです」

 そう話すのは、TBS関係者。

「淡島さんのマネージャーをしていた垣内健二さんが亡くなり、彼女は困っていました。垣内さんにお金のことは全て任せていたとかで、自分の財産がどうなっているのかさっぱりわからない、と。そこで、まず淡島さんは石井さんに相談。石井さんが、資産を管理する税理士や弁護士などを紹介した。それから暫くして、淡島さんが石井さんに『仕事がしたいの。もしよかったら、何か出してくれない?』と持ちかけたのです。淡島さんほどの大女優がそんな話をするなんて、余程の事情がおありだったのでしょう」

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 昭和40年代までは長者番付にその名を連ねていたのに――第2回【「お金はどうでもいいの。お仕事さえできれば」長者番付の常連から借金6000万円まで、大女優「淡島千景さん」の役者一筋人生】では、脚本家の橋田壽賀子さんが明かした“恩返し”や、自宅を担保にした老後の借金などについて伝える。

デイリー新潮編集部

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