「携帯を置いてよ」3歳息子の涙にパニック…51歳・元TBSアナ、1日10時間スマホと格闘した管理職時代の“限界”

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大きなターニングポイント

 1年前、フリーアナウンサーへと転身した小倉弘子さん(51)。生活は大きく変わったという。TBS時代はアナウンサーとして活躍する一方、40代からは管理職としても忙しい日々を送っていた。今は元プロサッカー選手の夫・水内猛さんと3人の子どもたちとの時間を大切にしながら、新しいキャリアを築いている。(全3回の第3回)

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――TBSではアナウンサーとして活躍した後、役割も変わってきたそうですね。

「そうですね。40代半ばに管理職になりました。私にとって大きなターニングポイントでしたね」

――具体的にどんな業務をされていたのですか。

「アナウンサーのスケジューラーです。制作から依頼をもらって、20人弱のアナウンサーのスケジュールを調整したりする役割です。それをやりながら自分の担当する番組にも出演するという感じでやっていました」

――かなりハードなお仕事だったと思いますが、そこから退社を決断するのにどのような経緯があったのですか。

「管理職になった後、ちょうどコロナ禍になり、自宅と会社を往復しながらアナウンサーのスケジュールを調整していました。誰かが濃厚接触者になってしまうと代理の人を探したり、当時は私一人で担当アナウンサーたちを管理したりしていたので1日10時間以上、スマホを持った状態で作業していました。

 当時3歳だった息子と高校受験だった長女が家にいて、母親としてもきちんと子どもたちをみてあげないといけない時期でした。でも、スマホが気になってしまって……少し目を離したら30件くらい連絡がきている場合もあるんです。それに返信していると、3歳の息子に泣きながら『もう携帯を置いてよ』って言われて……精神的にパニックになってしまっていました」

――会社には相談したのでしょうか。

「会社もその状況を理解してくれて、やり方を変えようと努力をしていただいたのですが、私自身、仕事が下手だったというのもあります。限界が先に来てしまい、夫に相談したら『辞めてもいいよ』と言ってもらいました。上司とは何度か話し合いをして、最終的には引き継ぎを済ませて辞表を提出しました。ちょうどその前位に管理職の働き方も分業制に変わりましたね」

――会社も転換期だったのですね。でも、みなさん驚いたのでは。

「そうですね。みんな知っているのかなと思っていたのですが、私が伝えたら驚いていました。同期の安住(紳一郎)には報告が遅れてしまったんですが、偶然会社のエレベーターの中で会った時、他の人が乗っているのに『次は決まっているの?』って聞いてきて(笑)。『頑張ってね』って言ってもらえました」

――コロナ禍がなければ、今もTBSで働いていましたか。

「そうだったかもしれませんね。でも50歳という年齢が迫ってきたことも心境として大きかったのかなと思います。この先、管理職として進むのか、アナウンサーとして全うするのか、その分かれ道でもありました。何者でもない小倉弘子という人間にたくさんのチャンスをいただき、1人のアナウンサーとして育てていただいたTBSには感謝しかありません」

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