「今のあなたでは合格できない」TBS・OBの叱責で覚醒 小倉弘子アナ、お調子者だった大学生が“看板”を背負うまで

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フリー転身から1年

 TBSアナウンサーだった小倉弘子さん(51)は2024年末、27年間在籍した同局を退社した。管理職としての重責とコロナ禍での葛藤が続く中、50歳での選択だった。フリーに転身して、ちょうど1年。改めて、アナウンサーという職業について、どう思っているのか、聞いた。(全3回の第2回)

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――そもそもアナウンサーになろうと思ったきっかけを教えてください。

「本気でアナウンサーを目指すようになったのは大学生になってからです。それまでは、フジテレビの『俺たちひょうきん族』を観ながら、『アナウンサーっていろんなことができるんだな』って漠然とした憧れを持っていました。ただ、警察官になりたいとか地元の江東区の職員になりたいとかも考えていて、絶対アナウンサーになりたいとは思っていなかったんです。

 大学2年生の時に就職課に貼ってあった『アナウンサーになりたい人募集』というポスターを見て『こんな感じで受けられるんだ』と思い、そこに『アナウンススクール生募集』と書いてあったんです。3か月間で3万円のレッスン料だったので、バイト代で払えるならちょっと覗いてみようと思い通いました」

――アナウンススクールに入ってみていかがでしたか。

「私は目立ちたがり屋でお調子者だったので、アルバイトの延長みたいな軽い感覚で受けていました。ある時、フリートークの授業があって、周りはガチガチの中で私は好きな話を自由に披露しました。すると講師の先生に『あなたは面白いから、そういうアナウンサーがいてもいいと思いますよ』と褒めていただいたんです。『これでアナウンサーになれる』って調子に乗ってしまいました。そしたらOBの方に鼻っ柱を折られてしまいました」

――どういうことでしょう。

「TBSのOBの方にお会いした時、『今のあなたでは合格はできません』ってきっぱりと言われてしまいました。『ただテレビに出たい、目立ちたいだけならタレントさんを起用すればいいんだから』と。その言葉が悔しくて『だったら本気でアナウンサーを目指してやる』と決めたんです。

 次の日から学校に通う前に毎日、新聞全紙を読み比べて、ラジオも『森本毅郎・スタンバイ!』を毎朝聴いて、試験を受けました。テレビ朝日さんは既に締め切っていたので日本テレビさん、フジテレビさん、TBSを受けました」

――TBSに決めた理由は何ですか。

「できればフジテレビかTBSに行きたいと思っていました。でも、フジは途中で落ちてしまい、TBSが先に内定を出していただいたので決めました」

――実際に入社してみていかがでしたか。

「やっぱり最初にOBの方に怒られてよかったなって思いました。アナウンサーはタレントじゃなくて会社員なんだなってことを分かった上で入社でき、スタッフと一緒に走らなきゃいけないということをわかっていたんです」

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