芸能記者を黙らせる「名コメント」の数々…昭和の大女優「若尾文子」の堂々たる取材対応とは

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「わたし、いい奥さんではなかったわねえ」

 やがて15分ほどすると、Y氏がタクシーで到着した。

「おいおい、いったい、いままで、どこに……?」

 すると、Y氏は、頭をかきながら、

「いやあ、もうしわけない。てっきり若尾さんだと思って、駐車場口で車が一時停止したところで、取材の申し込みをしたのですが……ひとちがいだったんです」

「ええ? じゃ、誰だったの?」

「長山藍子サンでした。サングラスをしていたので、わからなかったんです」

 無理もない。どちらもストレートヘアで、ほぼおなじ背格好で、色白。サングラスをされたら、区別などつかないだろう。その場で、2人は、大笑いしてしまったという。

 そのときの記事が《「若尾文子」を入籍させた黒川家の「家族会議」》(1984年1月26日号)である。結局、ここに至る経緯は、公私ともに黒川氏を知る錚々たる経済人たちに語ってもらい、何とか形にはなった。M氏いわく、

「いまは、さすがにこんな取材はできません。でも、時代がちがうといえばそれまでですが、こういう取材で抗議をしてくる芸能人は、当時は、まずいませんでした。若尾文子さんは、いわば、“昭和の大物芸能人”の代表格でもあるように思えます」

 現に、その後、若尾さんは、週刊新潮の長期連載《私の週刊食卓日記》(2001年1月4・11日号)に登場し、〈五時起床。ニュースを見乍ら体操。八時半、黒川起こす。家政婦さん来る。ぶりてりやき、しじみ味噌汁…〉などと、ほのぼのとした様子を平然と寄稿しているのである。

 このあと、黒川氏は政党を立ち上げ、都知事選や参院選に立候補。若尾さんも応援演説に奔走したが、当選には至らなかった。黒川氏は、2007年10月、すい臓がんで逝去。

 2人の最後の会話は「わたし、いい奥さんではなかったわねえ」「そんなことないよ」だったという。これも、マンションに詰めかけた記者たちに、インターホン越しではあったが、若尾さん自身が明かしたのである。まことに堂々たる対応であった。

森重良太(もりしげ・りょうた)
1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。

デイリー新潮編集部

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