イチローも最初は観客に笑われていた!「サブロー」「後藤武敏.G(ゴメス)」…プロ野球ユニーク登録名 「ゲンちゃん」はセ・リーグ理事会が反対
ロッテの最速161キロ右腕・田中大聖(2025年ドラフト7位)が登録名を「大聖」、ユニホームの背中を「YAMATO」にしてプロ1年目のスタートを切った。一般に多い田中姓では目立たないので、大聖を「やまと」と読む下の名前をアピールしたいという本人の希望によるもので、「登録名が浸透する活躍ができるように」と張り切っている。今やすっかり球界に定着したカタカナや名前のみの登録名の歴史や珍エピソードを振り返ってみよう。【久保田龍雄/ライター】
【写真】カレーを食べるイチローも…平成を彩った異色の野球選手たちの肖像
「カタカナ登録名」の先駆者
日本人選手でNPB史上初のカタカナ登録名を用いたのは、1994年のオリックス・イチロー(鈴木一朗)とパンチ(佐藤和弘)だ。
イチローは前年、打率.188と目立たなかったが、就任したばかりの仰木彬監督がウインターリーグでの活躍ぶりに惚れ込み、宮古島キャンプやオープン戦でも主力として起用、イチローも3月26日のオープン戦、中日戦で満塁本塁打を打つなど、プロ3年目での開花を予感させた。
だが、本名の「鈴木」では平凡で十分にアピールできない。しかも、当時のパ・リーグには、鈴木健(西武)、鈴木貴久(近鉄)鈴木慶裕(日本ハム)と同姓の打者も多く、ますます目立たなくなってしまう。
そんな事情から、ふだんコーチが呼んでいた下の名前を「イチロー」とカタカナの登録名にするアイデアが生まれた。さらにパンチパーマやユニークな発言で人気を博していた5年目の外野手・佐藤も抱き合わせの形で「パンチ」の登録名を用いることになった。
初めは知名度の高い「パンチ」のほうが注目されるが、イチローが活躍すればするほど「ああ、あの選手か」と覚えてもらえる。なかなかうまい売り出し方である。
4月9日に本拠地・神戸グリーンスタジアムで行われた開幕戦のダイエー戦、2番センターで出場し、公式戦で初めて登録名をコールされたイチローは「名前がアナウンスされると笑いが起こるっていう現象は悔しかったけど、その気持ちはわかる。それはもう結果を出すしかないからね」と開き直り、同年はNPB史上初のシーズン200安打以上(210安打)をマークし、見事首位打者を獲得。「カタカナ登録名」の先駆者としても名を残すことになった。
“ちゃん”がつくのはどうか
このイチローにあやかって同じカタカナの登録名「サブロー」を用いたのが、翌95年、ロッテにドラフト1位で入団した大村三郎だ。
イチローの弟分のような登録名は、本人のたっての希望だったそうだが、09年にリーグ3位の打率.314、22本塁打、68打点をマークする。22年間の現役生活で通算1363安打、127本塁打、655打点と“ロッテの顔”にふさわしい成績を残した。ロッテの新監督に就任した今季も、日本人の指揮官としては史上初めてとなるサブローの登録名を用いることになった。
登録名が幻で終わったのが、1996年に巨人のリリーフ左腕として“メーク・ドラマV”に貢献した河野博文である。当時、長嶋茂雄監督は、投手交代のたびに「ピッチャー・ゲンちゃん」と球審に告げていた。ゲンちゃんは日本ハム時代に先輩の投手から「北京原人に似ているから」という理由で頂戴したニックネームだが、本人は「大学時代は“牛”と呼ばれていたから、あまり抵抗はなかった」という。
巨人移籍後、長嶋監督に「河野」と名字で呼ばれたことは1度もなく、常に「ゲンちゃん」だったことから「いっそのこと登録名にしたら」という案が出た。
だが、1997年1月21日のセ・リーグ理事会で、「ニックネームを登録名にするのはいいが、“ちゃん”がつくのはどうか?」の反対意見が多かったことから「正式に要請があっても認めない」という結論に……。
河野自身は「周りが騒いでいただけですから」と苦笑いするばかりだったが、もし認められていたら、“ちゃん”付けの登録名がトレンドになっていた可能性もある。
[1/2ページ]


