豊臣家が滅亡した驚愕の理由を徳川宗家19代当主と歴史学者が語り尽くす! 大河ドラマ「豊臣兄弟!」を2倍楽しむための特別対談

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陰でバランスを取る人物の方が現代的?

――今回のドラマが「豊臣兄弟!」というタイトルであることについて、徳川さんはどう思われますか?

徳川 時代が変わったな、と思いました。今世紀に入ってから「太閤記(秀吉単独の物語)」は大河ドラマでやっていないんです。何が何でもトップを取るというのし上がって「俺が、俺が」タイプの人物よりも、秀長のように「補佐役」として組織を支えた人物の方が、現代の日本人が感情移入できて共感を得やすくなったのかもしれません。

笠谷 ワンマンなリーダーよりも、その陰でバランスを取る人物の方が現代的かもしれません。

徳川 ちなみに、来年の大河ドラマは幕末の悲劇の幕臣小栗上野介ですが、群馬県民の悲願でしょうね。ただ、小栗が採ろうとしたのは外国からの債務で幕府を立て直し、薩長とも戦うという路線ですから、借金で首が回らなくなる危うさがあったのではないかとも思うのです。ただし、お芝居好きの視聴者に対してはやはり華々しくパッと散る話が選ばれたということなのでしょう(笑)。

家康が豊臣家に敵対的になった理由

――関ヶ原の戦いの後、豊臣恩顧の大名たちが西国に多く配置されたのはなぜでしょうか?

笠谷 従来の説では「僻地へ追いやった」とか「恩を与えて懐柔した」と言われますが、私はそれに異を唱えています。当時、西国(九州・瀬戸内)はヨーロッパ・中国との貿易の窓口であり、富と最新兵器が入ってくる先進地域です。そんな重要な地域に、なぜ外様大名ばかり置いて、徳川の譜代大名を置かなかったのでしょうか。私の説は、関ヶ原の戦いで東軍の主力は実は豊臣系大名であり、徳川直属の軍事力は少なかった。だから、論功行賞として豊かな西国を与えざるを得なかった、というものです。

徳川 九州などはまさにそうですね。それに加えて、「朝鮮出兵」の影響も無視できません。現場の兵士や西日本の民衆レベルでは、「やっぱり太閤さん(秀吉)はすごい」「日本は強い」という意識が残っていた。関ヶ原の時点では、西日本における「アンチ徳川・親豊臣」の熱量は、草の根レベルで相当高かったのではないでしょうか。家康もそれを肌で感じていたからこそ、自分たちは関東平野の江戸に基盤を築くことを試み、西国は豊臣恩顧の大名に任せるしかなかった。

笠谷 そこから導き出されるのが「二重公儀体制」です。家康は当初、京都から東を徳川が支配し、西国は豊臣家(秀頼)の影響下にある領域として、事実上の「東西分割統治」を想定していたのではないでしょうか。実際、1608年ごろまで西国には徳川の譜代大名が一人も配置されていません。家康は、千姫を秀頼に嫁がせて「徳川と豊臣の融合政権」をつくって共存共栄を図ろうとしていたのでしょう。もし秀頼と千姫との間に女の子が生まれたら、その子を将軍の御台所とするのもあり得たと思います。

徳川 秀忠が将軍になっても、秀頼が関白として並び立つ可能性があったと?

笠谷 「征夷大将軍=唯一の天下人」というのは後の時代の偏見です。当時は「将軍は徳川、関白は豊臣」という形で並立することは十分可能でした。しかし、方針が変わり、西国への締め付け(篠山城や亀山城の天下普請など)が始まります。これは「豊臣包囲網」の形成であり、家康の中で「共存」から「完全な制圧」へと方針転換があったことを示しています。

――家康が豊臣家に敵対的になったのはなぜなのでしょうか? その謎を解き明かす一子相伝の言い伝えが徳川家にあったりしませんか?

徳川 父は会津松平家の分家から養子として徳川宗家に入ったのでよく分からないです(笑)。それがあるとしたら、徳川が滅ぼした豊臣よりも徳川がやられてしまった薩長についてでしょう。そんな書き物が残っていれば、それを小出しにして私も一生食べていけますね。

笠谷 あくまで心証レベルの話でしかないのですが、駿府城での失火に理由があったのではないかと思うのです。火元が家康の寝所近くだったので、「くノ一」じゃないですけれど、大坂方の回し者の仕業ではないかと家康が疑ったのではないかと。

 後編では、徳川家当主ならではのマル秘エピソードなどと併せて、「豊臣兄弟!」を楽しむための知識を紹介する。

笠谷和比古(かさやかずひこ)
1949年神戸生まれ。京都大学文学部卒業。同大学院博士課程修了。博士(文学)。国際日本文化研究センター名誉教授。専門は歴史学、武家社会論。著書に『主君「押込」の構造』、『論争 関ヶ原合戦』、『近世の朝廷と武家政権』など。

徳川家広(とくがわいえひろ)
1965年東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、米ミシガン大学で経済学修士号取得、国連食糧農業機関(FAO)ローマ本部とベトナム支部での勤務を経て、米コロンビア大学で政治学修士号を取得。2021年6月より公益財団法人徳川記念財団理事長。2023年1月より徳川宗家第19代当主。

週刊新潮 2026年1月15日号掲載

特別対談「大河ドラマ『豊臣兄弟!』 なぜ豊臣家は滅んだのか」より

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