「解散か総辞職かで政治部内が真っ二つ」…新聞各社“昭和の政治スクープ”秘話 元敏腕記者「渡辺恒雄氏」が後にボヤいた“変化”とは

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新聞社の“声名”を賭したスクープ合戦

 いずれにしても昭和20年代のスクープといわれるものには、この種の“賭け”に、大げさなことをいえば、新聞社の“声名”を賭したような趣のものが少なくない。

 戦後のスクープ第1号といわれる昭和22年8月の読売新聞、『最高裁長官に三淵忠彦氏』の記事にしても、下馬評ではもっとも可能性が薄いとされていた人を的中させたものだった。昭和23年9月、これも読売が、昭電事件での報道合戦中、『栗栖国務相、きょう逮捕』とスッパ抜いたのも、そうである。

 続いて昭和25年3月には、毎日新聞がこれまた最高裁人事で、候補3人が一線上にあって決まるまでわからないとされていた時に、決定当日の朝刊で田中耕太郎氏(1974年没)の就任をズバリ予測した。

 もっとも、最高裁長官の人事が、1日や半日、先にわかったところで、その記事で世の中がどう変わるというものでもない。スクープといわれるもの、新聞記者業界内での一種の“シェア競争”のようなところがあって、一般読者の立場でいうと、「なんでこんな記事が……」と思われるようなものも多いのである。

渡辺恒雄氏は「解散説」派だった

 それはともかく、吉田内閣総辞職の際、解散説をとった記者の1人だったという渡辺恒雄・読売新聞政治部長(取材当時。2024年没)によると、「今は賭けはやらせません」

 そして、こういう。

「そりゃ、部数が100万の時代と700万の今とでは、社会に対する反響度が違います。外れたら責任重大ですからね」

 で、渡辺部長、昨(1976)年9月の椎名工作(当時の三木武夫首相に対する早期退陣工作)スッパ抜きは、「周辺をつめにつめて、100パーセントの事実をつみ上げた」のだそうだ。

 が、その一方で、自ら「片手じゃ間に合わないほど特賞(社長賞や局長賞)をもらった」スクープ記者を自任する渡辺部長は、こうボヤきもする。

「記者の派閥との癒着が取りざたされたんで、注意しろといったら、どうなったと思います。夜討ち朝駆けに至るまで、共同記者会見ですよ」

デイリー新潮編集部

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