標準語でしゃべると「気取ってる」、関西弁を真似すると「エセやんか」…転校生や転勤族を悩ませる「言葉の壁」はなぜ無くならないのか
同じ日本人に対しては粗探し
別の地域から来た人間が地元の言葉を喋る場合、「エセ〇〇弁」と呼ばれるパターンは、それは心が凹むかもしれないが、別の言い方をされると少し嬉しくなる。「だいぶ〇〇弁が板につきよったね(ついてきたね)」という言葉である。筆者の場合〇〇弁とは移住から5年以上が経過した唐津弁のことである。「エセ唐津弁が」と言われるより、この言い方の方が異端者としてはありがたい。
とはいっても唐津弁で「つができた」と言われて何がなんだか分からないこともある。聞くと「かさぶたができた」のことらしい。言葉の由来は、「ち(血)」の次だから「つ」という説があるそうだ。
海外から日本に戻ってきて中学や高校に入った帰国子女たちの流暢な発音に対して、日本人はなぜか厳しいというのも、問題だと思う。教科書に書かれたI have an apple.を日本の生徒は「あいはぶあんあっぷる」といった感じで抑揚のない日本語読みをする。一方、帰国子女は「アイヘァーヴアンエァポー」といったイントネーションをつけてネイティブのように読む。最初はざわめいて困惑と畏怖の念で見られるのだが、いつしかその読み方がバカにされ、この帰国子女は他の生徒同様、I went to a theatre to watch a movie.を「あいうぇんととぅーあしあたーとぅーわっちあむーびー」といった発音に矯正していくのである。
しかし、英語というものは、日本語風によんだらとにかく相手に通じない。「バニラアイス」なんて言おうものなら「バナナアイス? そんなものない!」と返されてしまう。「ヴァナラァアイス」みたいな発音だと通じる。日本語英語に矯正したら、通じなくなってしまうのだ。
外国人が「アナタハカミヲシンジマスカー?」なんて言っても我々は意味が分かるのと根本的に違うのである。しかも、発音が無茶苦茶でも、相手が白人だったら「日本語お上手ですね」と言いがちなのが日本人の白人コンプレックスの表れだ。何しろ白人様が日本を楽しんでくれていることを喜ぶテレビ番組が多数あるのだから。
異端な方言を喋る日本人と、流暢な英語を喋る日本人中高生がなぜか見下され、たどたどしい日本語、それも特に方言を喋る外国人は絶賛されるという妙な二重基準が日本の語学を巡っては存在する。
とにかく日本人は同じ日本人に対してはホメるのではなく粗探しをしたくなる。その回避方法として「黙っておく」「目立たない」「他人と違う行動を取らない」行動様式が身についているのだろう。言語はそれを端的に表している。
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