久米宏さんはなぜ「Nステ」を降板したのか 早大時代の闘争については「間違いです」

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女性問題もあった

 TBSラジオでのインタビューの際の久米さんは、どんな質問にも当意即妙で答えてくれた。だが、表情を曇らせた質問が1つだけあった。早大時代の話である。

 当時、早大出身の作家が学生時代を振り返った本がベストセラーになっていた。久米さんが学園闘争の闘士であったかのような下りもあった。演説がうまかったなどと書かれていた。

 しかし久米さんは「間違いです」と毅然と言った。険しい表情だった。実際、この記述は事実でなく、久米さんは早大闘争には一切関わっていない。演劇部に所属し、学生俳優として熱心に活動していた。

 久米さんはどうして早大闘争と関連付けられたことに顔を曇らせたのか。間違いだから当たり前だが、同時に教職員、学生の多くが傷ついた闘争だからではないか。間違った闘争史を残したくなかったのだろう。

 前例のないことに挑むのも好きな人だった。2004年3月26日の「Nステ」の最終回もそう。放送終了直前、瓶ビールを取り出し、グイッとあおった。別れの言葉はあっさりしていた。「本当にお別れです。さようなら」。無論、こんなキャスターもいなかった。

 久米さんが「Nステ」を降板した理由は今もハッキリしない。久米さん自身は2003年8月の会見で「衰えた」「(ニュースに対する)最適な言葉が出てこなくなった」と説明したが、額面通りに受け止めた放送記者はいない。

 テレ朝は久米さんを引き留めたかった。しかし費用が嵩む。久米さんのギャラが推定年間約2億円だったのは妥当だが、「Nステ」は久米さんが所属する制作会社「オフィス・トゥー・ワン」との共同制作だったため、同社にも年間数十億円支払わなくてはならなかった。これが重荷だったというのが定説だ。

 久米さんがオフィス・トゥー・ワンと袂を分かったら、「Nステ」はもっと続いたかも知れない。だが、久米さんと同社が決別する可能性はゼロ。同社が久米さんの苦境時を支えてくれたこともあり、関係は一枚岩だった。

 久米さんは1981年当時、麗子夫人(80)以外の女性と接点があった。その女性が同8月、自死未遂を図る。命に別状はなかったものの、久米さんは批判にさらされ、謹慎を余儀なくされる。

 TBSは1979年に退社しており、守ってくれる大組織はなかった。盾になったのがオフィス・トゥー・ワンだったのである。ちなみに久米さんの謹慎は1か月で終わった。異例の速さだった。

 久米さんは存在感が薄くなるばかりのテレビ界への提言も残した。「テレビがつまらないといわれるのは、制作者が『面白い』と『楽しい』を勘違いしているところがあると思う」(民放連の機関誌『民放』2020年5月号)

「面白い」と「楽しい」はどう違うのか。

「今でいうと、『ポツンと一軒家』(テレビ朝日系)は面白い番組ではなく、楽しい番組なんです。ゲラゲラ笑うところもありますけど、『この人はここで生きているんだ』という楽しさがある。番組がどうもうまくいかない、またしても打ち切りになりそうだという原因のひとつは、面白がらせようとしているからではないでしょうか」(同)

 確かに無理に笑わせようとして滑ったり、強引に感動させようとして観る側をシラケさせたりする番組は多い。

「これからは観ている人の心が和らぐ、楽しい番組作りをしていかないといけないでしょう。放送は日常ですから、『面白い』じゃなくて、こ『楽しい』で十分なんです」(同)

 久米さんはテレビと時代の関係を考えていた。今日性を大切にした。こんなアナもいない。やはり天才だった。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。前放送批評懇談会出版編集委員。

デイリー新潮編集部

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