自分は“中国人”と即答 本島とは全く異なる立場にある「台湾・金門島」の人々とは(古市憲寿)

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「両岸一家親」。お土産物屋に売られていたマグネットには、パンダの住む中国本土と共に、大きくそう書かれていた。中国と台湾は同じ家族のように親しい関係にある、という意味だ。習近平国家主席の用いるスローガンでもある。

 ここは台湾の金門島。台湾本島からは200kmの距離があるのに、中国本土とはわずか2kmほど。泳いで渡れる距離だ。島からは厦門の高層ビルや空港がよく見える。地図で見れば「ほぼ中国」だ。

 ガイドをお願いした男性に「台湾人、金門人、中国人。どう呼ばれるのがしっくりくるか」と聞いたら「中国人」と即答。「平和的に統一されるのが望ましい」との考えらしい。

 台湾では中国に対して、大きく分けると「独立派」「現状維持派」「統一派」という三つの派閥があるが、地域によってその内実は大きく違う。特に金門島は台湾本島とは全く異なる特殊な立場にある。

 まず経済もインフラも中国頼み。観光客の多くは中国本土からで、また金門島の人も買い物には厦門へフェリーで行く。さらには水道水もパイプライン経由で中国から買っている。そんな訳もあって、金門島では「金門人」や「中国人」といったアイデンティティーを持つ人が多い。

 歴史的にもなかなか大変な経験をしている。1949年、蒋介石率いる国民党政府が台湾へ撤退した後、金門島は中国からの攻撃の第1目標となった。台湾本島に平和が戻ってからも、金門島には中国からの砲撃が続いたのである。1979年までの約20年は、「奇数日だけ砲撃する」という奇妙な攻撃があり、住民は常に緊張を強いられていた。「今日は奇数日だから洗濯物を干すのはやめよう」といったように、まるでSFの世界みたいな「定休日ありの戦争」時代が継続した。

 一方の台湾からは「外国」のような扱いを受け、本島へ行くには出入境許可証が必要で、紙幣も金門限定のものを使わされた。住民は民防隊に強制加入させられ、戦闘協力を強いられた。さらに夜間外出は禁止され、ラジオ、カメラ、さらには浮輪代わりにして中国に泳いで渡らないようにとのことでバスケットボールやバレーボールの所持まで規制されたという。1992年に戒厳令が解除され、ようやく21世紀になって中国本土からの観光も解禁される。

 かつて殺し合いをした中国、そして最前線として厳しい扱いを受けた台湾。そのどちらともバランスを取りながら現在の金門島がある。市街地のカフェに入ると毛沢東と蒋介石が肩を組んでタピオカミルクティーを仲良く飲むイラストの描かれたシールをもらった。金門島を挟み戦争をしていた二人の指導者だ。

「両岸一家親」のマグネットも、恐らく中国本土からの観光客に喜ばれるのだろう。歴史の禍根や、政治的な緊張をも、商売魂は軽々と乗り越えていく。経済合理性を無視して勇ましいことを言って満足している評論家よりもずっと望ましい態度だと思った。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2026年1月1・8日号掲載

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