公開から40年も「バック・トゥ・ザ・フューチャー」限定上映が大ヒット! 「SF映画の最高傑作」鮮やかすぎる“伏線回収”の魅力

エンタメ 映画

  • ブックマーク

出演者の今

 89年に「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」、90年に「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3」が公開され、いずれも世界的に大ヒットした監督や出演者たちは、その後、どんな人生を歩んでいるのだろうか。

 マーティ役を演じたマイケルは、このシリーズでハリウッドスターの仲間入りを果たし、日本でも一躍人気者になった。89年には「ホンダ・インテグラ」のCMに出演。映画と同じく「パワー・オブ・ラヴ」がCMソングに起用され、マイケルの決めゼリフ「カッコインテグラ」が当時話題になった。

 その後の大活躍が期待されたが、30歳の時にパーキンソン病と診断される。それを隠しながら仕事を続けていたが98年に公表し、一時は引退状態だった。

「闘病をきっかけにパーキンソン病の研究助成活動を始め『マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団』を設立。自らの生い立ちからパーキンソン病との闘病をつづった自伝『ラッキー・マン(Lucky Man)』が世界的にベストセラーとなり、売上は全て同財団に寄付しています」(同前)

 その後、俳優業に復帰し、母国カナダで開催された2010年の冬季バンクーバー五輪の閉会式などで元気な姿を見せたが、20年11月に、パーキンソン病の影響による記憶力の低下から2度目の引退を表明した。

 ドク役を演じたロイドは、映画「ロジャー・ラビット」(88年)や、米テレビドラマ「世にも不思議なアメージング・ストーリー」(86年)など、ゼメキス監督作品の常連となり、90年代に世界中でヒットした「アダムス・ファミリー」シリーズのフェスター・アダムス役も当たり役に。

 その後もドク役でのCM出演やゲームの声優などのオファーもあり、15年10月放送のトークライブ番組「ジミー・キンメル・ライブ!」のコーナーにマイケルとともにデロリアンに乗って登場。ドクを演じ、映画で描かれた1985年と実際の2015年の様々な違いに驚くというショーを行った。24年12月には、日米の映画・コミック・アニメ・ゲームなどのポップカルチャーを扱ったイベント「東京コミコン2024」に来日し元気な姿をみせている。

 劇中でひときわキャラ立ちしていたビフを演じたウィルソンはコメディアン。ビフ役で一躍俳優としても有名になったが、声優としてもさまざまなキャラクターを演じ、00年以降は再びコメディアンとしても活躍している。18年末に開催されたイベント「ハリウッド コレクターズ コンベンション No.18」にロイドらとともに来日。マーティが劇中でギターソロを披露する「ジョニー B.グッド」を自ら演奏するファンサービスで会場を盛り上げた。

 ゼメキス監督はメガホンを取り88年に公開された「ロジャー・ラビット」が世界的にヒット。前述の通り「フォレスト・ガンプ/一期一会」ではアカデミー監督賞を受賞し、作品も作品賞を含む6部門に輝いた。2000年公開の「キャスト・アウェイ」を最後に実写映画の監督から暫く遠ざかっていたが、12年公開の「フライト」で実写映画の監督に復帰。以後、「ザ・ウォーク」(15年)、「魔女がいっぱい」(20年)、「ピノキオ」(22年)などを世に送り出している。

次ページ:タイムマシーンはあの車

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。