“17億円大豪邸”で過ごしたみのもんたさんの晩年 「敷地は3000坪」「お風呂からは江の島と富士山が見える」

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2025年に亡くなった有名人たち(第3回)

 3月1日、昭和と平成を駆け抜けた名司会者、みのもんたさん(本名・御法川法男)が亡くなった。享年80。テレビ界の頂点に立った男の晩年とは――(以下、「週刊新潮」2025年5月1・8日号をもとに加筆・修正しました)。

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 みのさんが晩年を過ごしたのは、鎌倉市の大豪邸。3000坪の敷地に240坪の延床面積を誇る。

「広大な土地の取得代も含めて17億円をかけたと報じられました。静かな住環境とプライバシーを確保するために、隣接する山林も購入したそうです。00年代のみのさんは全盛期で、ギャラの総額が30億円を超えた年もあったといいますからね。大好きだった奥様と老後を過ごすついのすみかを建てるべく、カネに糸目をつけなかったのでしょう」 (芸能記者)

 しかし、妻は邸宅が完成した3年後の12年、皮膚がんで逝去。その翌年には、次男が窃盗未遂の容疑で警視庁に逮捕されてしまった。

 次男逮捕の2日後、みのさんは、邸宅の前で、報道陣を前に番組出演の自粛を発表。目には、うっすらと涙を浮かべながら、明智光秀の三女、細川ガラシャの辞世の句を引き合いに、

「判断を間違うと『(散りぬべき時知りてこそ)世の中の 花も花なれ 人も人なれ』といった心境ですね」

 と語り、報道系の番組2本の自粛を決めたという。その一方でバラエティー番組は出演を継続するとした判断が、世間から批判を浴びることとなり、結果的に1カ月後には報道番組を降板することになった。

部屋は20以上

 その後もみのさんは邸宅に独りで住み続けた。

 家を訪れたことのある彼の知人によれば、そこかしこから、仲むつまじかった夫婦の暮らしぶりが伝わってくる造りになっていたという。

「地下1階、地上2階の建物の中には、20以上もの部屋がありました。ほとんどは洋室でしたが、1階のリビングの隣に囲炉裏が備え付けられた板の間の和室があったり、地下に茶室のような部屋が設けられていたりと、ところどころに和の様式が取り入れられていた。みのさんは年を取ってから、囲炉裏をかこんで奥様とお酒を飲むのを楽しみにしていました」

 他にも、さまざまな用途の部屋があった。

「2階には、天窓付きの衣装専門の部屋が設けられていました。みのさんの専属スタイリストだった奥様は、自然光のもとで膨大な数の洋服や小物に目を通して、彼の日々のコーディネートを決めていました。同じ組み合わせでテレビに出ないように、細心の注意を払っていたといいます。多忙な夫婦をサポートするためのお手伝いさんが、日中、詰める部屋まで用意されていたと聞きました」(同)

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