“元ジャーナリスト”ならではの姿勢が根底に… 「クライマーズ・ハイ」原田眞人監督が娯楽映画に込めたメッセージ
物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は12月8日に亡くなった原田眞人さんを取り上げる。
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映画人としての出発点
映画監督の原田眞人さんは、映画は社会に起きていることを映す鏡だと語っていた。その作品は、娯楽性が豊かで観客を引き込みながら、現代社会が抱える問題や人間の葛藤を無理なく織り込んでいる。
親交があった映画監督で早稲田大学名誉教授の安藤紘平さんは振り返る。
「昔起きた事件や歴史上の出来事にも、現代に投げかける大切なメッセージが必ずあると原田さんは確信していました。それを難しいドラマにしなかった。事件に人間がどう関わったか、人物を丁寧に描くことでエンターテインメントでありながら観客に自然と考えさせる作品になっていた」
交友があった映画評論家の垣井道弘さんも言う。
「例えば2002年の『突入せよ!あさま山荘事件』では、警察と連合赤軍の攻防自体より警察組織内の人間臭い部分に重点がおかれていた。意見の違いからくる足の引っ張り合い、集団と個人の関係など、企業にも共通する問題だと伝わってきます。視点の面白さは映画人としての出発点がユニークだったからです。1973年からロサンゼルスに住み、日本に映画情報を伝えたジャーナリストでした。脚本を書き、監督を務めるようになっても、徹底して自分で調べるジャーナリストの姿勢は変わっていません。社会的テーマとエンタメを融合させるハリウッド流を体得しながら、アメリカかぶれにならなかった。和魂洋才の言葉がぴったりの人です」
飛び込み同然の取材から
49年、静岡県沼津市生まれ。小学生にして年間150本は映画を見た。競争は厳しいが、アメリカで監督に挑戦しようと決心。
飛び込み同然の取材から映画人と関係を築いた。日本の雑誌に請われ、監督や俳優のインタビュー、新作の批評を手がけ好評を博す。
79年、「さらば映画の友よ インディアンサマー」により日本で監督デビュー。映画への造詣の深さと英語力が信頼され、スタンリー・キューブリック監督の「フルメタル・ジャケット」(87年)では日本語字幕への翻訳を指名されたほどだ。
95年の「KAMIKAZE TAXI」で時の人に。
映画評論家の北川れい子さんは言う。
「役所広司さんはタクシー運転手役。彼がチンピラと演じる逃走劇は喜劇と悲劇が入り交じる。観客を笑わせ、豊かな日本も一皮めくればとじんわり引き込む。役所さんは原田さんによって新境地を開かれ、引く手あまたの人気俳優に花開いた」
コギャルの姿を浮かび上がらせた「バウンス ko GALS」(97年)、不正の責任回避に終始する経営陣に挑む銀行員が主人公の「金融腐蝕列島 呪縛」(99年)、日航機墜落事故を取材する記者を描く「クライマーズ・ハイ」(08年)などヒット作が続く。
「いずれも群像劇といわれますが、人物をせりふのない役に至るまで深く掘り起こした。細部まできっちり描かないと物語が揺らぐと考え、リアリティーを大切にする。配役も自ら候補者に会って厳選した」(垣井さん)
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