【特別読物】「救うこと、救われること」(11) 大槻ケンヂさん

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 大槻ケンヂさんは、「筋肉少女帯」という伝説的ロックバンドのボーカル。本と音楽好きの目立たない子供でしたが、中学時代にバンド活動に目覚めます。還暦目前の現在も精力的なライブ活動を続ける大槻さんが、音楽への特別な思いを語ります。

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 子供の頃はクラスの中でも目立たない存在でした。あまり社交的でない、友達作りも上手くいかない、運動も勉強も出来ない、ちょっとさえない子供だったんです。本と音楽が好きで、自宅近くの古本屋に通ったり、ラジオで荒井由実や井上陽水を聴いていました。

 陽水のLPはよく聴きましたね。「傘がない」や「人生が二度あれば」や「東へ西へ」を聴いて、こういうモチーフを詞にする人がいるんだと、歌詞に衝撃を受けました。

 映画も好きでした。当時は名画座が沢山あって、2本立てが500円位。お昼代を節約して通ってました。深夜放送は情報の宝庫で、そのおかげで、いまでも名画と言われている沢田研二主演の『太陽を盗んだ男』や、石井聰亙(現・岳龍)監督の伝説的インディーズ映画『狂い咲きサンダーロード』を観ていました。

中学でロックに目覚める

 と同時に、小学生のときに、来日したKISSをテレビで見て、「なんかすごいのが出てきたぞ」と触発されて、そこからロック少年になりました。ハードロックはもちろん、パンクロックもプログレッシブも何でも聴きました。貸しレコード屋から借りたレコードをカセットテープにダビングして何度も聴きました。

 そのうちライブハウスに行くようになり、そうしたら友達が出来たんです。中学の同級生で、彼を通じて友達の輪が広がって行きました。だんだん聴く方から出る方になっていって、その同級生、いま「筋肉少女帯」のベーシストである内田くんとバンドを組んだのがスタートです。

22歳で「筋肉少女帯」デビュー

 最初のころは、楽器はロクに弾けないし、ドラムも借りものでぶっつけ本番、まるでノイズミュージックでした。ところがそのテープを内田くんの先輩がおもしろいといってくれた。この先輩が、劇作家で演出家のケラリーノ・サンドロヴィッチさんです。彼の後押しもあって、16歳から「筋肉少女帯」でライブ活動を始め、インディーズで続けていたら、6年後の22歳でメジャーデビュー出来たんです。

 音楽以外のこともやりましたね。何かで自分を表現したいというエネルギーとパワーだけはあったんです。寺山修司の実験演劇に影響を受けて、アングラな散文詩を書いてみたり、お正月にポスターカラーとうどん粉で顔を真っ白に塗って半裸で叫び、それを映像に撮ったりしていましたから。

 思えば当時はライブハウスが沢山あって、自分を発信していくのにバンドを組むのが一番の近道だったんです。いま若かったら絶対にユーチューバー、それも迷惑系のユーチューバーになったと思いますね。その当時スマホやユーチューブがなくて本当によかったです。

 初めてのライブでウケたんです。出来はひどかったけど、笑ってもらえてウケた。その後、渋谷センター街の「屋根裏」での「筋肉少女帯」ライブもウケたんです。さえない高校生が注目されて、自己承認欲求が満たされたというか、「やった!」という思いがありました。一瞬でも必要とされたというあの救いが、今の僕の原点だと思います。

音楽が全てを救ってくれた

 22歳のプロデビューのときだって、2浪して大学に入ったうえ、2年で留年が決まっていた、学歴社会の落ちこぼれでした。就職先もない状態だったときに声がかかったんです。音楽のおかげで交友関係が広がり、社会的なスタンスや経済的なことも全部付いてきた。全て音楽に救ってもらったんです。

 最近は、むしろ大事にされていて、「大槻さんのあの作品のあの言葉に救われました」と言われたり、「ヤバい、尊敬されている」と感じることもあって、気をつけないといけないと思っています。勘違いして自分を「先生」だと思ってしまったら、クリエイター終了ですから。

 ロックを巡る環境も随分変わりました。僕がデビューした80年代はライブは戦いの場で、バンドも敵、客も敵という感じで殺伐としていたんです。でもいまのお客さんは楽しみに来ている。ライブはフレンドリーな場になっています。ロックバンドはアイドルで、ロックは推し活のひとつになっているんです。

 2026年、還暦を迎えるんですが、50歳を過ぎてから、めっきりお酒が飲めなくなったり、肉を余り食べなくなっていて、この体の変化はどこに向かうのだろうという興味があります。突然時代小説を書いてみたいと思うかもしれないし、60歳を過ぎて金星人や土星人に出会ったと証言して、一時は世界一有名な宇宙人遭遇者(コンタクティー)になったジョージ・アダムスキーのように、還暦を過ぎたら僕も宇宙人に会えるかもしれない。

 そんな風に妄想も含めて期待しつつ、100歳までロックし続けるぜという姿勢も見せつつ、その一方で、ちょっとずつの終活もありかな、と思っているところです。

■提供:真如苑

大槻ケンヂ
1966年生まれ。88年「筋肉少女帯」でメジャーデビュー。99年「筋肉少女帯」を脱退後、「特撮」を結成。2006年に「筋肉少女帯」再始動。「特撮」を含め現在も活動中。さらに、「オケミス」「大槻ケンヂと絶望少女達」他、多数のユニットと弾き語りでもライブを行っている。バンド活動とともに、エッセイ、作詞、テレビ、ラジオ、映画等多方面で活躍中。小説では『くるぐる使い』『のの子の復讐ジグジグ』で2年連続星雲賞を受賞。最新刊『医者にオカルトを止められた男』が好評発売中。

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