井上光晴にそそのかされ、瀬戸内寂聴にはっぱをかけられ… 横尾忠則が泉鏡花賞を受賞するまで

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 50年ほど前、画家に転向する数年前、40歳頃かな、そんなある日、井上光晴という人から電話が掛かってきました。

「私、文学をやっている井上光晴という者ですが、あなた、ひとつ小説を書きませんか。お母さんのことを書いたエッセイを読みましたが、あんなんでいいですから小説を書いて下さい」

 声が大きくて、やや高圧的な、えらそうな言い方をする人、井上光晴ねえ、そんな人いたかな、と思いながら、「母についてはもう書けません」と断ったら、「じゃ、お父さんでいいじゃないですか」。お母さんが駄目ならお父さんか、何んて乱暴な人なんだろう。

 この人、本当に作家かな? 目茶苦茶言う人だなあと思いながら、「小説など書いたことがないので書けません」と断ると、その井上さんという人は、「例えばこんな風でいいですよ、『山と山が連っていて、どこまでも山ばかりである。この信州の山々の間に――』」と、何んだか童話みたいなものでいいということかな。と話したあと、100枚以内でいいです、と中々電話を切ってもらえないので、メンドー臭くなり、とりあえず「書きます」とウソをついて電話を切ることにしました。

 ところが、あの迫力のある大きい声の井上光晴という人は本物かどうか怪しいものだ。そこで知人の編集者2~3人に様子を窺がってみると、全員、「間違いありません。井上光晴というエライ作家です。書くべきです」と逆に編集者達から勧められる結果になり、なんとなくあとに引けなくなってしまいました。

 母が駄目なら父で、と言われたので、井上さんの言葉通りに父の死について約100枚書きましたよ。小説など書いたことがなかったが、井上さんが電話口で「例えばこんな風でいい」と語ったのは、どうやら深沢七郎さんの「楢山節考」の書き出しの部分であることが後でわかりました。

 また、ずっと後になって瀬戸内寂聴さんから聞いた話では、井上さんは僕のエッセイなど読んでいなくて、瀬戸内さんが井上さんに「横尾さんのお母さんの話が面白いので、ぜひ横尾さんに小説を書かせたらどう?」と勧めたそうで、「井上さんは読んでいないわよ」というのが真相だとわかりました。

 小説を入稿してやれやれと思った頃、突然活字にしたゲラが送られてきました。当然没になったとばかり思っていたので驚いて、井上さんに「あんな文章は恥ずかしいので、ちゃんと添削して下さいよ」と言うと「あんな文章のどこを直せというんですか」と。

 ところが井上さんと懇意にしていた深夜叢書の齋藤愼爾さんが言うには、あの横尾さんの小説「長い長い順番」は芥川賞候補者が何人かノミネートされた時、実は次点だったというニュースをどこからか聞いた、とのこと。そんなことがあったからか、再び2作目も書けというのです。

 またガーガー言われるのも嫌だから「光る女」という宇宙人的女性をテーマにした小説を書いた。すると井上さんは第1作目と2作目をまとめて、単行本にしようと、自腹を切って、わざわざ出版社まで起こして本当に出版してくれたのです。

 これで井上さんとの関係は終り、しばらく経った頃、文藝春秋社の僕のエッセイ集を担当してくれていた編集者が、今度「文學界」に移ったので、「ここで1本小説を書いて下さい」と三たび小説の悪夢がやってきた。小説は井上さんでこりごりしていたのに、またか、――です。

 瀬戸内さんに相談したら、「書きなさい、書きなさい、そして単行本にして、私が帯を書くから」と単行本の話にまで発展してしまったのです。下手な小説など書いて、美術界からは「オッチョコチョイ」と言われるにきまっている。でも最終的には、瀬戸内さんに相談したために、瀬戸内さんの悪のりに僕まで悪のりする羽目になってしまいました。

「タイトルは英語を平仮名にしなさい」という瀬戸内さんの指示に従って「ぶるうらんど」という死後をテーマにした小説ができ上りましたが、「文學界」の「今月の短評」では、連作の4作品共、画家の他流試合にむかついたのか、若い評者から寄ってたかってここぞとばかりケッチョンパンに叩かれてしまいました。

 それも僕の年齢の半分以下の若い批評家や作家からです。「文學界」の編集者や瀬戸内さんを恨んでも仕方ない。人の噂も七十五日とかで、早く日が経つのを待つしかありません。

 もう、小説のことなどすっかり忘れていた頃、作家の村松友視さんから電話があって、何やら泉鏡花がどうのこうのとおっしゃっているが難聴が始まったばかりの僕には電話の意味が理解できず、きっと泉鏡花の展覧会か何かのポスターの依頼だとばかり思い、断る必要もあるまいと、一応OKの返事をしましたが、実はポスターの依頼ではなく、「ぶるうらんど」が泉鏡花文学賞に決定したという通知の電話だったのです。賞が決まった途端、ケッチョンパンに叩いた連中は、引っ込んでしまいました。

 小説に関しては井上光晴さんにそそのかされ、瀬戸内さんと「文學界」の編集者からは、はっぱをかけられ、寄ってたかって遊ばれているので、泉鏡花賞の授賞式に金沢へ行って、五木寛之さんを初め、他の選考委員の方にお会いするまで中々信じることができませんでした。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2025年12月18日号掲載

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