「自分の意志」を信じすぎるのはシンドイ メンドー臭がり屋の横尾忠則がつらぬく“受け身”な生き方

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 僕の座右の書は貝原益軒の『養生訓』です。『養生訓』は病気になってから養生すると手遅れになることがあるので、病気になる前に早めに養生しなさい、と生活レベルでの養生を説いた江戸時代の医学書です。

 僕は病気でもないのに身体の一部に小さな異変を感じただけで、病院に飛んで行きます。僕の病院好きを「趣味」だという人がいますが、このことは病気になる前に養生をするという『養生訓』の実践なのです。こんなに注意をしていても病気になることもありますが、たとえなったとしても僕の場合は早期発見ということで何度も救われています。

 また、「病いは気から」というように、病気は心の状態の反映でもあると益軒は精神的側面を重視した『慎思録』という書を書いているのですが、『養生訓』と共にこの本も僕の座右の書になっています。現代医学でも病気の原因の一つはストレスであるとされ、精神面にも強い関心を持たれていますが、『慎思録』はそれを先取りした人間学の書でもあります。

『慎思録』では人間の吉凶禍福はすべて天命であると断言します。人はひとりで勝手にこの世に生まれてきたと思っている人もいますが、天命とは天の命令だから自分の意志でこの命令を変えることができません。生まれると同時にその人の身に備わった運命です。

 人の運命は、すべて天命によるものであって、人間の力ではどうすることもできないと益軒はいいます。だから諦めて運命に従うしかないのです。ところが天命の道理を知ってか知らずか、僕は昔から、メンドー臭いことはすぐ諦めてしまう癖がありました。

 しかし、大半の人は運命のいいなりになるのではなく、運命は自らの意志の力で切り開くものだという考えに立っていると思いますが、『慎思録』はこのような今日的な人間の自由意志を否定するのです。

「運鈍根」という言葉がありますが、物事に成功するためには幸運に恵まれ、根気よく、粘り強いことを必要とします。しかし、『慎思録』の考えでは余計な努力などしません。全て天におまかせと、他力本願的です。富貴であろうと、貧賤であろうと、吉凶はすべて天命によるものとして、自ずと定まったものを、人の力や意志で何んとかできるものではないと説き続けます。

 ひたすら人の道、つまり人間学に徹して、天命を待つ。求めて得られるものではない、諦めましょう、それが天命を待つことだというのです。その代り人間の損得はどこかに置き忘れる必要がありそうです。でも煩悩に縛られ、欲望と執着にがんじがらめになっている者にとっては益軒の『慎思録』は悪書かも知れません。

『慎思録』はさらに続けてこういいます。愚者はこの天命の理に達することができないため人の力で運命を変えられると思っている。人は常に偶然の幸運を願って富貴を求め、貧賤を拒絶する。天命の理を知らない者は正しい道を知らない。富貴は求めて得られるものではないと『慎思録』は断言します。こうまで言われると従った方が楽だと思いませんか。でも近代主義的な考え方は人間の自由意志を尊重するので、益軒の『慎思録』は前近代的な考え方で古臭いということになりかねません。でも古い新しいの問題ではないと思います。

 人間は自分の意志で生まれてきたわけではない。天命に従った結果だと益軒はいうのです。親を選んで生まれてきたわけではない。たまたま日本人として生まれてきたのです。そして僕のその後の人生は自分の意志で生きた、といえるほどの自信もありません。何んとなくそうなってしまったような気がします。まあ天命半分、人命半分というところでしょうか。

 もともと天命に従って生まれてきたのですが、そこに親や学校の教育が介在して、当初の天命の影響が薄れて、いつの間にか、人命というか、自分自身に従い、早い時期に天命との縁を切ってしまうように思います。そしてそこから自分の意志というシンドイ生き方が始まったのです。

 だけど僕はメンドー臭がり屋なので物心がついた頃、すでに天命にまかせた生き方を選んでいたように思います。自分の優柔不断な性格から、人まかせ的に生きた方が余計な努力も苦労もなく、便利がいいと思ったのです。その結果が現在の僕の生き方というか人生になったわけです。他者からは自分の意志を追求したかのように思われているかも知れませんが、そうではなく、あらゆる局面で受け身をつらぬいてきたと思っています。

 僕は性格的に能動的ではなく、受動的です。この性格は幼少期の両親による教育ゆえであったと思います。養子であったために老両親は僕を猫可愛がりに育ててくれたので、常に受動的でいることが慢性化したのではないか。つまり天命の意識などなく天命に従わざるを得ない生き方を方向づけられたように思います。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2025年12月11日号掲載

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