親戚中をたらい回しにされた「前田吟」壮絶な少年時代…どんな言葉よりも雄弁だった渥美清さんの“背中に刻まれた傷”
嫌なことは自分の胸に……
そんな話をうかがいながらこう思った。
実は、筆者は生まれてすぐに両親が離婚し、両親ともに引き取ることなく捨てられたが、我が身を持ってしても前田さんの生い立ちには比べるべくもない。ただ、「それでよくグレなかったね」と言われることが多かったので失礼とは思いながら、雑談でなぜグレなかったのかを訊いてみた。
すると、小6の学芸会で褒められ、将来は役者になると決めていた前田さんは「あまり人には言ったことないけど」と、こう語った。
「大人になったら俳優になりたいという夢がありましたからね。グレて悪いことをして俳優になれなかったら元も子もないじゃないですか。だから、僕は役者になってグレる役をやればいいと思ったの。ヤクザになるんじゃなくて、ヤクザの役をやればいいと。もっとも、グレる度胸もなかったのかもしれない。子供の時から大人の世界がわかっちゃったからね。余計なことはいわない、ここで歯向かって嫌われたら生きていけないかもしれない……。そんなことを考えるよりもいろんな映画、ドラマを見たり、本も読まないと。そう思って生きてきました」
話を聞いているうちに目頭が熱くなった。
つまり、普通の子供のように我が儘を言ったり、グレて親に甘えたりすることもできないし、どうせ言っても、理解してもらえないことはわかり切っている。どんなに嫌なことがあっても、自分の胸に仕舞って押し殺すしかない。それより、余計なことは言わずにやらなければいけないことをやる。そういう処世術がやがて役者として花開き、寅さんに行きついたのではないか。
そんな言い訳をしない生き方を、渥美清に学んだことがあるという。連載第1回の印象的なエピソードである。
渥美清は20代で結核を患い、片肺を取った。後年はほとんど寅さん1本に賭けて、無理をしなかったのは自らの体力の限界を知っていたからだ。しかし、渥美はそんな弱みを人に見せたことがなかった。
人に言えない、見せない中にある真実
中原理恵がマドンナを務めたシリーズ第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」でのこと。
この作品は、最後に寅さんが熊に襲われるシーンで知られる。ロケは北海道・中標津などで行われた。このロケの際、渥美と二人だけで温泉に入る機会があった。その時、目にしたのは、渥美の背中にある大きなノの字の刀傷のような痕。
それが何かはすぐにわかった。役者になってからの渥美の苦悩の象徴が、背中に刻まれていた。
「普段、共演者が渥美さんと一緒にお風呂に入ることなんかありません。でも、ずっと一緒に仕事をしている僕には隠すこともないと思ったんでしょうね。渥美さんは何も言わなかったけど、さりげなく自分をさらけ出して見せてくれたのかもしれません」
人に言えない、見せないものの中にある真実。前田さんが奇しくもそれを感じた瞬間ではなかったか……。
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