控訴審も「院展」が敗訴 偶然似た絵を描いただけで“盗作作家”にされ“村八分”になった日本画家が気づいた「権威の歪み」と「画家としての使命」

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誰も富士山が描けなくなってしまう

 騒動後、後輩たちから聞こえてきた声で一番心に刺さったのは「梅原は田舎者だったくせに何も苦労もせず偉くなったからこうなった」という言葉だった。

「確かにそうだったなと素直に思います。奢っていたつもりは全くありませんでしたが、苦労を知らないままぬくぬくやってきたのは事実。自分では後輩の面倒を見てきたつもりでいましたが、そうでもなかったからこんなことを言われるようになったのでしょう」

 だが、「こうなった」という指摘には絶対に納得いかない。

「私に嫌疑がかけられた絵は平凡なポーズの人物画で、たまたま構図が似通ることは起こりうる話です。こんなことで盗作を指摘されたら、誰も富士山を描けなくなってしまう。理事会の中でも私の先輩は2人くらいおらず、他はみんな後輩です。目の上のたんこぶのような、疎ましい存在になっていたからこそ、こんな理不尽な処分を出したのでしょう。私を庇いたい後輩がいたとしても、声に出せないのもわかります。私同様、村八分にされてしまいますから」

 騒動に巻き込まれ、自分がこれまで依拠してきた権威の愚かしさに気づいたという。思い出すのは、平山氏の助手を務めていた頃、研究室の旅行に同行した新聞記者から言われた言葉だ。

「『藝大の画家たちはヤクザみたいな関係ですね』と言うのです。私たちが24時間、平山先生のお世話をしている姿を見て、親分の面倒を見る下積み奉公みたいだと。実際、藝大の中ではそうした上下関係、上にいかに気に入られるかが、絵の上手い下手よりも評価につながってきたのです」

もう権威に頼る気はない

 騒動が起きてからはうつ病を発症。1年くらい絵が全く描けなくなってしまった時期があった。今はそれを乗り越え、毎日アトリエに向かう。創作意欲を支えるのは、自分は絵描きとして間違ったことをしていないという揺るぎない自信である。

「もともと権威のために絵を描いていたつもりは毛頭ありません。ただ絵を描くのが好きで、自分のために絵を描いてきました。ただ、いつしか自分の原点を忘れ、権威から与えられた既得権益の中で努力を怠っていた自分に気付きました。『同人』であれば院展には審査なしで必ず展示してもらえるし、絵も売れやすくなる。恵まれた環境に甘えていたのです」

 今回の経験を通して絵に対する理解がより深まったという。これまで自分が描いてきた絵を下手だったと振り返り、今は、どうしたらもっと良い絵が描けるかわかってきたと語る。

「だから絵描きとしてはいい試練になったのではないかと思っています。若い時は、活動の場が権威によって保証されている以上、どうしても権威に向けて描いていかねばなりません。ただ権威に評価されただけの絵は歴史には残りません。権威の評価を超えた、本当にいい絵だけが死んだ後も後世に残り続ける。幸い今の私は権威から放逐された身。もう権威に頼る気もありません。たった一枚でいい。死後も歴史に残り続ける絵を描けるよう、これから精進していこうと思います」

 関連記事【日本画の最高峰「院展」元理事が告発「理事会に“盗作作家”の濡れ衣を着せられた」「偶然構図が似ただけなのに」】では、盗作疑惑がかけられた絵と「元の絵」を比較検証。不確かな理由で理事会が処分を下した経緯について詳報している。

デイリー新潮編集部

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