「愛子さまだからこそ」……“女性天皇論”で最も重視すべきは「パーソナリティでは」との声が上がる理由

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外遊デビュー戦

 愛子さまは昨年3月に学習院大学をご卒業され、この12月1日に24歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち11月17日からはラオスをご訪問。愛子さまにとって、これが初めての公式なご外遊となった。

 成年皇族として、着実に成長のステップを上られている愛子さまについて、過去に8人の女性天皇がいて数々の実績を残してきた事実に基づき、男系男子の皇族に引けを取らないご存在になられたと評価する声がある。だが、こうした従来型の価値観による“愛子天皇待望論”とは別に、ジェンダーバイアスに捉われない世代ならではの待望論も浮上している。

 ジェンダー平等の実現を21世紀の最重要課題と位置付けた男女共同参画社会基本法が1999年に制定されたことをきっかけに本格始動したジェンダー教育を、実際にフルで受けられた皇族は2001年生まれの愛子さまと、06年生まれの秋篠宮家の長男・悠仁さまのみ。皇室の将来を展望するに当たっては、ジェンダーフリー感覚を常識とする世代の考える天皇像も無視できなくなっている。

 女性皇族はかつて「貴婦人」などと称され、一般女性から羨望の眼差しを浴びてきた。1882(明治15)年に駐伊(イタリア)公使の次女としてローマで生まれた、梨本宮伊都子妃は「イタリアの都の子」という意味で命名された。仏留学を終えた夫の梨本宮守正王と共に欧州王室を歴訪した経験から、「日本にアール・ヌーヴォーのファッションを伝えた」とされる。いわば、ファッションリーダーの“走り”だった。

 また1923(大正12)年、朝香宮鳩彦王が留学先の仏パリでの自動車事故で重傷を負い、その静養に同行するため、妻の允子妃は2年間、パリに滞在。その頃、流行していたアール・デコへの造詣を深め、「日本にアール・デコのファッションを伝えた」と言われた。

 上皇后美智子さまも雅子さまも、常にファッションリーダーとして注目を集めてきた。一方で、愛子さまのファッションはフォーマルな席では「保守的な良家のお嬢さまスタイル」と称され、華やかで品がありつつも派手さとは無縁。またプライベートではGUやユニクロなどのファストファッションを愛用されており、ある宮内庁の現役職員も「御所ではジャージ姿で過ごされていますよ」と打ち明ける。

愛子さまだから

 宮内庁関係者は、こう語る。

「トラディショナル(伝統的)でクラシカル(古典的)な装いが女性の皇族方にとっては基本であり、愛子さまはそういったポイントはしっかりと押さえておられます。生まれながらのプリンセスですので、同世代の女性が憧れるような気品も十分に兼ね備えられており、背伸びをしてブランドで身を固める必要などないわけです」

 愛子さまご誕生の直後、故高松宮妃喜久子さまが女性天皇の可能性について愛子さまを念頭に「決して不自然なことではない」と雑誌に寄稿し、女性天皇を容認するお考えを示された。女性・女系天皇誕生の是非をめぐる議論の渦中に、愛子さまはずっと居続けている。

 前出の宮内庁関係者は「今の若い職員もジェンダー教育を受けた世代。高市早苗首相の誕生も当然のことと受け止めているように私の目には映ります」と指摘。その上でこう話す。

「愛子天皇待望論などとSNSで取りざたされていることについては、女性の権利といった視点よりも『天皇家のひとりっ子なのになぜ天皇になれないのだろう』と率直な疑問を持っている職員も少なくないと聞きます」

 大学ご卒業後、精力的にご公務に励まれている愛子さまは、5月に能登半島地震の被災地・石川県七尾市の万行第2団地集会所を視察されたほか、戦後80年の節目を迎えた沖縄と長崎もご訪問。初めてご公務での外遊も経験されるなど、日本赤十字社勤務と並行しての献身的なご活動は目覚ましいものがある。

 宮内庁特別職の幹部経験がある元キャリア官僚は「悠仁さまを差し置いてということではない」と前置きしながら、こう語る。

「愛子さまが天皇にふさわしいかどうかは、女性の社会進出の進展と私たち昭和世代の物差しを天秤にかける、古臭い議論で語るべきものではないのかもしれない。愛子さまの適性は『女性でも天皇になれる』といったものでも『時代の流れに従って女性だからこそ天皇になるべき』といったものでもなく『愛子さまだからこそ』という個人のパーソナリティに注目して議論すべきものではないか」

朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。主に紙媒体でロイヤルファミリーの記事などを執筆する。

デイリー新潮編集部

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