「老人ホーム」入居直前…89年師走に“鉄道踏切での最期”を選択 80歳男性はなぜ「献身的な息子夫妻」に心を閉ざしたのか
同居に際し自宅を増築
Aさんは千葉県の出身。若い頃は都内に住み、軍靴工場で働いていたそうだが、昭和28年頃に40代で退職。郷里に近い九十九里町に戻って、奥さんと2人で町役場前に駄菓子屋を開業し、そのかたわら県内の製鉄会社へ勤めたりしていた。
73歳のときに店をたたんで引退し、埼玉県越谷市に住んでいた娘夫妻と同居。そこで4年ほど前に奥さんを亡くし、間もなく日野市の長男夫妻のもとへ移って来たのだ。が、今度は老人ホームへ移るようにと、まわりから説得されていたようなのである。
その長男は、現在43歳の銀行勤務。社宅住まいをやめ、東京都某市に家を構えたのは7年ほど前。60坪ほどの敷地にこぢんまりとした家を建てた。家族は妻と子供2人。
「あそこの奥さんはよくできた人ですよ」と、近所の住人は言う。
「あの家で、おじいちゃんとの間にトラブルがあったなんて、ちょっと信じられません。奥さんは外出するとき、“おじいちゃんの食事の支度をしとかなくっちゃ”と、いつもおじいちゃんの弁当を作ってから出かけていたし、私たちと買物に行ったときなど、“おじいちゃんの食事の時間だから”と、自分だけ先に帰ったこともありました。なかなか、あそこまではできないって、近所では言っていたんです」
Aさんの妻、すなわち“おばあちゃん”が亡くなった時は何度もお見舞いに行き、娘夫妻の家からこちらへ移る際には、
「北東の向きに家を増築して、おじいちゃんの部屋も作ったはずなんです。そのおじいちゃんを老人ホームへ行かせることにしていたなんて、今度初めて知りました……」
いわゆる偏屈になってしまった
どうやら、長男夫婦は頭からAさんを追い出そうとしたわけではなさそうである。そこで市役所の関係者に聞くと、「老人ホームの入所申請が出ていたのは事実」だという。市町村の判定委員会が入所の認可を検討するため、ケースワーカーが家族から事情を聴いていたが、一般的には不可判定が出るケースだった。長男は堅実な家庭を築き、Aさんも健康で認知症の症状もなかったからである。
「ところが、ご老人のいる家庭というのは、それほど簡単なものではない。家庭内にはかなり深刻な状況があって、市の判定委員会はケースワーカーの報告を聞き、最終的には入所を認めるという結論を出しているんです」
その話をもう少し続けると、
「ケースワーカーの報告によると、どうやら、Aさん本人が、奥さんを亡くして以来、性格が変わってしまったということでした。それまで、何十年もの間、身の回りのことは奥さんに頼ってきた人だけにガックリしてしまったのでしょう。奥さんはしっかり者で、ご本人はおとなしい方だったようですね。それで、食事も着る物も、奥さんの用意するモノに頼ってきた。奥さんがいなくなると、何もかも自分に合わない、ということなんでしょう。
結果として、文句が多くなり、いわゆる偏屈になってしまった。最初に住んでいた娘夫婦の家でも折り合いが悪くなって、ご子息夫婦の家へ移ってきたようです。こちらに来てからは、ブツブツ小言を言うとき以外は自分の部屋に籠もってしまい、家族とはほとんど口をきかなかった」
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どうしたのよ、と聞いてみたら――。第2回【「さみしいよぉ」と近隣住民に…「老人ホーム」入居を巡る80歳男性と家族の葛藤、89年師走の「鉄道踏切での悲劇」に至った契機とは】では、心を閉ざした男性に疲弊していった家族の姿、伴侶を亡くした後の男性の本音などを伝える。
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