ジャニーズもバーニングも頭を抱えた「田原俊彦」との逃避行…「中山美穂さん」急逝から1年 恋多きスターの秘話

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「現場では誰かと喋るというより、撮影に備えていた」

 最後の出演映画となった「死刑にいたる病」の白石和彌監督が語る。

「中山さんは僕が映画監督になる前からトップアイドル。その頃からずっと大好きでした。彼女が演じたのは、消え入りそうな母親の役。現場では誰かと喋るというよりは、そのシーンの撮影に備えて、じっと演技を考えておられた。特別な存在でした。また機会があれば作品に出てもらって、一緒にやりたいなと思っていたのですが……」

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 この記事の後、2025年4月には、中山さんの「お別れの会」が東京・丸の内の東京国際フォーラムで開かれた。弔辞の最後に立った友人で女優・歌手の小泉今日子は、中山さんの遺影にこう語り掛けている。

「美穂。ファンの皆さんは、毎日のようにあなたが歌う姿、あなたが演じている姿、ため息が出るほど美しいあなたの写真などをSNSに投稿してくれてますよ。初めて見るものもたくさんあって、いまさらながら歌手・俳優としての美穂の素晴らしさを目の当たりにしています」

「ファンの人たちの前で歌っている美穂は一番奇麗で、一番素直に見えます。美穂、さよなら。美穂、よく頑張ったね。美穂、ありがとう」

 この一周忌の際にも、たくさんのファンが中山さんの在りし日の姿をSNSに投稿することだろう。突然の死から1年。波乱万丈の人生を送ったスターの記憶は、多くの人々の心の内に未だ鮮烈に残されたままである。

【前編】では、遺体の第一発見者となった事務所社長が明かした中山さんの最期の姿や、古くから知る人物たちに聞いた、彼女の素顔について報じている。

デイリー新潮編集部

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