これほど大化けするとは…「ドラフト6位」から成功を収めた“選手列伝”

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遅咲きながら大輪の花を

 2012年は、DeNA・宮崎敏郎が代表格だ。

“ハンカチ世代”の一人で、佐賀・厳木高時代はエースで4番ながら、最後の夏は初戦敗退に泣き、中央では無名だった。日本文理大、セガサミーでは内野手としてプレー。12年の都市対抗野球1回戦の日本通運戦では、0対2と敗色濃厚だった8回に、起死回生の逆転満塁本塁打を放った。観戦していた長嶋茂雄氏も「あそこで満塁本塁打が出るとは。こういうケースはそうそうない」と大興奮した。

 この勝負強さを買われ、チームメイトの赤堀大智(4位)とともにDeNAに指名された。当時の担当スカウトは、赤堀を目当てに見に行った練習試合で宮崎が本塁打を打ったのを見て獲得を決めたそうだが、6位指名の選手が首位打者を2度も獲得するのだから、これも“ドラフトの妙味”と言えるだろう。

 NPBの左腕として史上初の100セーブ、100ホールドを達成した阪神の守護神・岩崎優も、6位から飛躍組だ。

 国士大時代はほとんどを東都2部リーグで過ごし、当時の球速は140キロ未満と、それほど目立った投手ではなかった。だが、たまたま他大学のドラフト候補の投手を見に来た中尾孝義スカウトが、当時3年生だった岩崎の球に各打者が差し込まれていることに着目し、伸びしろを買って翌2013年のドラフトで6位指名した。

 岩崎はまさかの指名に驚きながらも「球持ちの良さと真っすぐの切れがセールスポイント。杉内(俊哉)投手のような切れで抑えられる投手になりたい」と誓った。背番号67からスタートした岩崎は、4年目の17年にリリーフに転向して4勝15ホールドを挙げると、22年からクローザーとなり、23年にリーグ最多の35セーブ、今季も31セーブをマークして、2度の優勝に貢献、遅咲きながら大輪の花を咲かせた。

きっかけは原監督の一言

 2年連続開幕投手を務めた巨人の新エース・戸郷翔征も、2018年のドラフトでは6位指名だった。

 聖心ウルスラ学園時代は2年夏に甲子園に出場し、1回戦の早稲田佐賀戦で完投勝利を挙げた。最後の夏は宮崎県大会準々決勝で敗退したが、夏の甲子園大会後、県選抜チームの一員としてU-18アジア選手権日本代表チームとの壮行試合で最速149キロをマークし、5回1/3を9奪三振の快投を演じたことが、プロ志望届提出につながった。

 だが、故障しやすい「アーム投げ」がネックとなり、ドラフトにかかるかどうかボーダーラインだった。巨人が獲得するきっかけとなったのは、「下位(指名)で、これは化けたら面白いぞっていう選手はいるか」という原辰徳監督の一言だった。

 バッターに向かっていく強気の投球を評価していた九州担当の武田康スカウトが推薦し、戸郷は6位で指名され、期待どおり2年目から先発ローテ入り。22年から3年連続で12勝の好成績で、名門チームのエースになった。

 2020年の阪神6位・中野拓夢は、矢野燿大監督がYouTubeで発掘したというエピソードで知られる。一度は指名リストから外れたが、矢野監督が球団幹部とかけ合い、6位で指名したところ、ミートセンスの良さと俊足を売りに1年目からレギュラーに定着し、不動の2番打者になった。

 今年のドラフトで、オリックスが“隠し玉”指名した投打二刀流・石川ケニー(ジョージア大)をはじめ「6位指名組」が、近い将来彼らに続くことを期待したい。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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