「体育は苦手、勉強もやる気になれず…」 “夢中になれるものがなかった”小林幸一郎がパラクライミングで世界一になるまで(小林信也)
アメリカの先達
「彼はそれまでに会った視覚障害者と異なる生き方をしていた。彼のおかげで大きな可能性を感じ、失いかけた自信を取り戻しました。『アメリカではたくさんの障害者がクライミングをやっている。日本でもキミが先頭に立てばいい』と言われて、2005年にNPO法人モンキーマジックを立ち上げました」
ユタ州モアブにある〈フィッシャー・タワーズ〉への挑戦も、直也の言葉が始まりだった。
「タワーに立とうよ。楽しいよ、オレは若い頃よく行ったんだ」
岩の塔が連なる中でもひときわ目立つ尖塔だという。
「どんな岩か聞いても直也は『すごいんだってば』としか言わない。『それじゃ分からん』と言うと、『じゃ行くしかないな』って(笑)」
その旅の記録は映画「ライフ・イズ・クライミング!」にまとめられている。
「行ったら120メートルの鉛筆の先に、座布団1枚の頂上がある感じ。すごく風が強かったので、上に立って正面から風を受けたら飛ばされる。登り切ってまずカエルのようにしゃがんで右左を向いて、風を横から受ける向きで立ち上がりました」
途中、シューズを片方落とすアクシデントもあったが、見事に登り切った。タワーの上で小林はハーネスに結んでいた視覚障害者の大切な相棒である白杖(はくじょう)を取り、空高く掲げた。






