「コース料理で最初にぜんざいが出たら幸せ」「箸にごはんがくっついたらティシュでふく」 横尾忠則の“食”のこだわり
先日、このエッセイで書きましたが、読んでいない読者のために今一度、触れますと、妻の口ぐせは、「あした、何にする?」です。
つまり明日の夕食の献立てのことです。
最初の一口がまだ咽に飲み込まれていない内に、「あした、何にする?」と問われると、ウッ! と咽につまりそうになります。
どうも妻は終日、夕食の献立てのことで頭がいっぱいで悩まされているらしいのです。
ただ日曜日の夕食はステーキと、もう何年も前から決まっています。僕は肉が好物なので、日曜日の夕食は愉しみです。一方で魚の生臭さはどうもニガ手ですが、栄養のバランスをとるために、妻は適当にタイミングを計って焼き魚料理にして食卓に並べてくれます。
最近はやゝご無沙汰ですが、毎月1日には赤飯と鯛が並びます。普通の釜で炊く赤飯だから濃い赤色のごはんになります。僕は赤飯が好きですが、セイロで蒸したおこわがもっと好きです。子供の頃、母の作るおふくろの味の記憶です。現在はセイロでおこわを作るような面倒臭いことはしなくてもおこわが炊ける電気釜がありますが、妻は食事に限らず近代兵器的なものが嫌いで、何んでも自然のものを好みます。野菜なども自然食品店で買い、人工的な調味料などを使用した料理は好みません。レトルトなども嫌いですが、現代社会の食卓に並ぶ食べ物の大半はこの種のものです。
だから外食も好みません。その点、僕は何かにつけて無頓着なので、ほとんど好き嫌いはありません。魚はニガ手だったけれど結婚以来、食べるようになりました。子供の頃嫌いだった野菜も健康のためという理由で食べます。
編集部のTさんには以前から、このエッセイには食べ物の話が少ないので、食べ物について何か書いてくれませんかとしばしばリクエストされるのですが、食べ物について語るのはどうもニガ手で、食べ物は語るものではなく、食べるものだから、目の前に食べ物を置いてくれれば少しは語ってもいいけれど、頭の中で食べ物を空想するのは、犬が「おあずけ」といわれているようで、空想では書いていても愉しくないので、という理由で食べ物に関しては、喜々として書けないのです。だから人の書いた食べ物のエッセイなども全く興味がありません。
朝と夜は妻の献立てですが、昼は外食です。といっても店に行くことは全くないので、スタッフがテークアウトしてくれます。そんなわけでお店も食べ物も決まったものばかりで、とっくの昔に飽きてしまっています。食べる前から味がわかってしまうので、何を食べても面白くも愉しくも美味しくもありません。
僕はレストランや料理屋で出るコース料理はあまり好きではないのです。どうもこうしたコース料理はお酒を前提にした料理ばかりで、お酒を一滴も飲まない僕は、早くデザートが出ないかなとばかり思いながら嫌々食べています。最初にオードブルが出て最後がデザートです。一番最初にデザートを出してもらいたいといつも思います。味の不確かなオードブルよりも、いきなり、ぜんざいが出れば、どんなに幸せかと思います。人類全員が酒が好きだと思われています。僕みたいな人間もいることを認識してもらいたいものです。
妻は僕と違ってお酒を飲みますが、僕の目の前では絶対飲みません。台所で僕に気づかれないようにコッソリ飲んでいるようです。僕の両親も酒は飲まなかったので、両親から酒を勧められたことなど一度もありません。父は甘党で、ごはんに砂糖をたっぷり入れてお茶漬けにして食べていました。
そんなわけで、三日にあげず、あんころ餅を家で作っていました。学校へ持っていく弁当はいつも、あんころ餅やきなこ餅、砂糖醤油の焼き餅などで、小学1年生から6年生まで毎日お餅弁当です。弁当のおかずとごはんの混った味が大嫌いで、まして他の生徒の弁当の臭いも大嫌いで、昼食時は僕はいつも教室を抜け出して、学校の中庭で食べていました。
また食事中に電話など掛って、食卓を離れて戻ってきても、自分の食べ残こしの続きは絶対食べたいと思いません。食べ物に対しては異常なほど神経質です。こんな僕は毎回必ず猫のように食べ残こします。完食するのが嫌なんです。絵もそうですが未完のままです。
こんな神経質な僕の食事マナーに対して、妻は、僕の食べ残こしのごはんやおかずをきれいに平らげてくれます。よくそんなことができるな、と僕は感心します。相当大物人間なのかなと今さら感心するのです。食事中に箸にごはんツブがくっついているだけで僕は嫌なのでティシュペーパーでふきます。食事が終ったころ食卓上は、箸やフォークやナイフやスプーンの汚れを取るために使ったティシュペーパーだらけになります。といって潔癖症というわけではありません。自分でも何んだかよくわからないのです。


