ドラ1「風間球打」は4年で戦力外…プロでは鳴かず飛ばずだった“世代ナンバーワン投手”

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指導者として甲子園を目指す

 夏の甲子園準優勝の実績と“ビッグマウス”の異名で人気者となり、1997年のドラフトの主役となったのは、平安の左腕・川口知哉だ。

 夏の甲子園2回戦、高知商戦で2安打完封勝利を挙げると、「次は完全試合を狙います」と大胆不敵に言い放った。「完封しました。次はどうしますか」と記者に尋ねられ、「また完封しますとも言えないじゃない」と誘導質問に乗せられた結果だが、コメントの面白さでは群を抜いていた。

 ドラフト前には、オリックスを逆指名し、一部で「高校生らしくない」の声も出たが、実はいち早く声をかけてくれた誠意に応えたものだった。

 そのドラフトでは、オリックス、近鉄、横浜、ヤクルトの4球団が競合したが、見事オリックスが引き当て、川口の強運を印象づけた。

 だが、プロ入り後は運に恵まれなかった。1年目に当時の2軍投手コーチから「軸足の左足を折るな」と指示された結果、上半身と下半身がスムーズに連動しなくなり、肩まで痛めてしまった。

 7年間で計10人のコーチから指導を受けたが、それぞれ言うことが違っていたため、ますます悪循環に陥った。

 2001年8月4日のウエスタン、広島戦で1試合6暴投、同29日の阪神戦で1試合15与四死球(いずれもリーグ新記録)と制球難に陥り、自身の投球を見失った。

 サイドスローに変えて制球が良化した翌02年9月27日のロッテ戦で1軍初先発が実現したが、4回3失点で敗戦投手となり、通算9試合、0勝1敗、防御率3.75と素質が開花することなく、04年限りでユニホームを脱いだ。

 今年の4月から母校・龍谷大平安の監督に就任し、指導者として甲子園を目指している。

セカンドキャリアで

 2005年夏の甲子園で左腕として当時最速の152キロ(※オリックスのスカウトのスピードガンでは156キロ)を計測し、“豪速球スター”として同年から導入された高校生ドラフトの超目玉となったのは、大阪桐蔭の辻内崇伸だ。

 ドラフトでは巨人とオリックスが競合し、外れくじを引いたオリックス・中村勝広GMが当たりと勘違いするハプニングがあったものの、「小さい頃からファンだった」巨人が交渉権を得る最良の結果となり、「憧れは工藤(公康)投手。160キロを出したい」と決意を新たにした。

 しかしながら、プロでは故障との闘いに明け暮れた。1年目に肩痛、2年目には左肘の内側側副靭帯の再建手術を受け、リハビリのため、2007、08年の2年間は登板なしで終わった。

 09年にイースタンで先発ローテ入りし、7勝を挙げたが、その後は制球難を克服できず、出番が激減する。12年にリリーフとして復活し、8月に1軍初登録を実現したが、登板機会のないまま登録抹消となり、運にも恵まれなかった。

 そして、翌13年は左肘痛を発症し、球速も120キロ台に落ちた。オフに戦力外通告を受けると、「1軍での登板機会がないにもかかわらず、8年間も見ていただいた。この8年間の経験を、今後の人生に生かしていきたい」とセカンドキャリアで再スタートとなった。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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