最多タイのPL学園はゼロ!出身高校別プロ野球監督ランキング、上位校でも意外と少ない“優勝監督”

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オリックスに受け継がれたバファローズの愛称

 一方、広島商は、浜崎真二(1948~53年・阪急、54~55年・高橋、63年・国鉄)、石本秀一(1950~53年・広島)、鶴岡一人(1946~68年・グレートリング、南海)、山本一義(1982~83年・ロッテ)、三村敏之(1994~98年・広島)、達川晃豊(本名・光男、1999~2000年・広島)の計6人。

 この中では、プレーイングマネージャー時代も含めて23年間の長きにわたり監督を務め、南海時代に2度のリーグ3連覇を達成するなど、優勝11回を記録した鶴岡監督の実績が抜きんでている。

 だが、他の5監督は1度も優勝経験がなく、PLも含めて歴代トップタイの6人を数える3校のいずれも、優勝監督は意外に少ないことがわかる。

 4位は松山商と市神港が5人で並ぶ。

 松山商は、藤本定義(1936~42年・巨人、46~47年・パシフィック、太陽、48~56年・金星、大映、57~59年・阪急、61~68年・阪神)、森茂雄(1935~36年・大阪、37~39年・イーグルス、59年・大洋)、寺内一隆(1942年・イーグルス)、坪内道典(1944年・朝日、46~47年・ゴールドスター、金星、52~53年・名古屋)、千葉茂(1959~61年・近鉄)と、プロ野球草創期を中心に相次いでOB監督が誕生した。

 計5チームで歴代最長の通算29年間監督を務め、実質的な巨人の初代監督としても知られる藤本監督は、巨人、阪神両球団の監督を務めた唯一の人物でもある。

 戦前の巨人時代に7度の優勝(春秋2シーズン制も含む)、阪神時代の1962年と64年にもリーグ優勝を達成するなど、通算3200試合、1657勝(いずれも歴代3位)という輝かしい実績を残した。

 現役時代に「猛牛」と呼ばれた千葉監督は、近鉄監督就任後、チームの愛称も「パールス」から「バファローズ」に変わった。監督としては3年連続最下位と結果を出せなかったが、バファローズの愛称は今もオリックスに受け継がれている。

将来の監督候補・松坂大輔

 一方、市神港は、いずれも第一神港商時代のOBである、二出川延明(1936年・金鯱)、永井武雄(1936年・大東京軍)、島秀之助(1936~37年・金鯱)、三谷八郎(1941~42年・南海)の4人がプロ野球草創期のチームを率いた。西垣徳雄(1950~53年・国鉄)は、国鉄の初代監督として記憶されている。

 6位は早稲田実で、岡田源三郎(1936~37年、1938~39年・金鯱)、荒川博(1974~76年・ヤクルト)、王貞治(1984~88年・巨人、1995~2008年・ダイエー、ソフトバンク)、大矢明彦(1996~97年、2007~09年・横浜)の4人。

 王監督は巨人、ダイエー時代に計4度の優勝(日本一2度)に加え、2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも世界一を達成した。

 7位は熊本工、日大三、早稲田、龍谷大平安が各3人で続き、ここまでが上位10傑となる。

 3校のうち、熊本工はV9を達成した川上哲治(1961~74年・巨人)、西武時代の2004年に日本一になった伊東勤(2004~07年・西武、2013~17年・ロッテ)と2人の日本一監督を輩出している。

 2人以下では、鳥栖高(2人)が権藤博(1998~2000年・横浜)と緒方孝市(2015~19年・広島)を輩出しており、いずれも優勝監督になった。

 冒頭のPLに次いで多数のプロ野球選手を送り出している横浜も、学校吸収以前の旧制本牧中出身の苅田久徳(1937~39年・セネタース、1940年・翼、1941年・大洋、1942~43年・大和軍、1947年・東急、1948年・急映)と、若林忠志(1942~44年、47~49年・大阪、1953年・毎日)と2人の監督を出している。

 純然たるOBでは、松坂大輔氏が将来の監督候補に挙げられているが、第1号が誰になるのかも興味深い。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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