定年が近づくと深刻さを増す中高年男性の「友達がいない」問題…東京のほうが酷いという“逆”地域格差を指摘する声も

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「真の友人」作りは難しい

 実に由々しき事態なのだが、もはや現在の職場よりも良い条件への転職も困難だし、このままなんとか波風立てず定年を迎え、給料の大幅減を受け入れて再雇用で65歳まで乗り切ろう――。こう考えてしまうのである。

 だが、見事に65歳まで乗り切ったとしても、次に対峙しなければならないのが、「友達問題」に他ならない。何しろ友達がいないのだ! 学生時代の友人にしても、もはや40年以上前の人間関係である。そうなるといかにして新たに友達を作ればいいのか。

 都会に住んでいる私の知人の高齢者は、囲碁ができる場所に通うようになった。とにかく暇を持て余した高齢男性がその囲碁クラブ的な場所に集い、昼から夕方までひたすら囲碁をするのだ。あとは、麻雀も暇つぶしには丁度良いと同氏は言っていた。

 とはいっても、65歳を過ぎた人間が「真の友人」を作るのはかなり難しい。結局その場で会う人々とは飲み会などに発展することはないだろう。

 そんな時に、実は強かったのが「地方民」である。私自身は2020年11月まで東京に住んでいたが、そこでは上に挙げたような、寂しい高齢男性の姿ばかり見ていた。だが、佐賀県唐津市に引っ越しをすると、「地方コミュニティ」の底力を見せつけられることになった。

 農村だと「村の寄り合い」というものがある。農作業を互いに手伝い、助け合うために必要な会合だ。さらに、唐津市内の中心部各所でも祭りが存在する。もっとも有名なのは「唐津くんち」だが、ほかにも「相知くんち」や「浜崎祇園」がある。年に1回のこれらお祭りに、地元の人々は時間と手間をかけ、同じ町に住む人々との交流を深めるのだ。同世代だけでなく、子どもから高齢者まで皆一体となる。

地方コミュニティを受け継ぐ次世代も

 また、彼らは地元愛が強いため、「これまで一回も地元から出たことがない」なんて人もかなりいる。そういった人々は地元で出会った相手と結婚をし、両家の親に息子・娘の面倒を見てもらったり、部活の送り迎えを頼んだりもする。子供が同じ野球チームに所属している親同士は、子供のチームが試合に勝てば打ち上げをし、負ければ残念会をする。

 このように、地域の交流を「祭り」と「子ども・孫」をベースとして行う地方都市はいわゆる「マイルドヤンキーカルチャー」的扱いをされるが、この方が都会の佐藤陽記者のように定年後に悩まないでいいのではないだろうか。とにかく孤独を軽減させるインフラが地方には整っているのだ。もちろん、偏屈な人間はそのインフラを利用できないが、人生100年時代に寂寥感を抱かず高齢期を過ごすには地方の方が快適かもしれない。

 そうした地方コミュニティだが、それを受け継ぐ次世代も育ちつつあると実感する。私の知り合いの高校3年生男子は、大手機械メーカーの内定を獲得した。しかし、彼は土壇場で内定を辞退した。なぜかといえば、「地方勤務になったら唐津くんちに参加できないかもしれない」とのこと。それだけ、地元愛が強く、人生100年時代を考えたら、地元に根を張り、様々なツテを広げ、愛された方が人生は得をすると考えたのだろう。

 定年後に悩む人は、一度地方を視察するのもいいかもしれない。そこであなたが受け入れられるかは分からないが、受け入れられた場合は、案外寂しくない高齢者生活を送れる可能性がある。

ネットニュース編集者・中川淳一郎

デイリー新潮編集部

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