ピンボケ「鳥取ディス」で大炎上「宮崎謙介」元議員が知らない「地方創生」 安倍首相の肝いりで始まった成長戦略だった

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「鳥取駅前の活気のなさ」は誰のせいか

 宮崎謙介・元衆議院議員のX上での発言に批判が集まっている。

 発端は11月1日の以下の投稿。

「先日、人生で初めて鳥取県に行ってきた。石破茂氏のお膝元。鳥取の皆様には申し訳ないが、鳥取駅前の活気のなさ、インフラ整備がなされてないことから、政治家の力がないことを実感してきたところ。総理を経験されて、さすがに目が覚めたのではないかと思ったのだが。」

 要するに「石破前首相は地元の活性化すらできていないではないか」という指摘である。石破氏が高市政権の方針に対して異を唱えたという報道を受けて、「そんなこと言う資格ないんじゃないか」と宮崎氏は言いたかったようだ。

 この投稿には反論が多く寄せられた。

「そもそも鳥取への物言いが失礼。石破氏を批判したいのは勝手だが、そのダシに使うな」

「国会議員が地元に利益誘導したほうがいいという考え方自体が古い、おかしい」

 こんな「正論」をぶつけられることになったことを受け、宮崎氏は自身のブログで真意を説明した。大意は以下の通りだ。

「石破氏が高市内閣への批判をしていることに異を唱えたかった。政治家は口だけでなく力が必要だ。その観点で鳥取を見た場合、地方創生を訴えていた石破氏の地元なのに、発展しているとは思えない状態だった。地元の人も政治の怠慢への不満を口にしていた」

 この「真意」へも多くの反発が寄せられているのだが、宮崎氏は自身の最初の投稿への批判をきちんと読んでいないか、読んだものの理解できていない可能性がある。石破氏はたしかに地方創生の重要性を訴えてきたし、初代担当大臣でもある。しかしそのことと「地元の発展」とは関係ないではないか、という指摘である。

安倍首相の肝いり政策だったのに

 石破氏の著書には、しばしば宮崎氏のような考え方を諫めるような文章が出てくる。たとえば『私はこう考える』には、以下のように書かれている。

「『地方創生』という言葉は、おかげさまでかなり世の中に広まりました。意地の悪いメディアは、『しょせんは自民党が地方のご機嫌を取って、選挙対策でやっているのだ』という論調で取り上げることもあるようです。簡単に言えば、バラマキ政策の新しい名称に過ぎない、という見方です。これは私が大臣を務め始めてから退任し、現在に至るまで変わりません。

 しかし、私たちは選挙対策などといった、つまらないレベルでこの政策を進めてきたわけではありません。
 
 では、地方創生とは何か。
 
 私は、明治以来連綿と続いてきた中央と地方との関係を根底から変えるものであるべきだと考えています。つまり日本国のあり方を根底から変えるもの、単なる地方の振興策に留まるものではなく、日本のあり方を変えて、この国が何とか二十一世紀も続いていけるようにするためのものだと私は考えています」

 石破氏が主張しているのは、まさに宮崎氏の主張の正反対であることがよくわかる。地方選出議員が地元に利益を還元する、といったバラマキ政治と地方創生は別物でなければならない、というものだ。鳥取県で言えば、住民と平井伸治県知事が主体的に考えて、自分たちにとって良い環境を作ることが求められる。国会議員が、自らの業績作りや利権のために動くことは、地方創生からかけ離れた振る舞いと言えるだろう。

宮崎氏は多忙だった

 ここで石破氏は少子化や人口減少という国家レベルの危機への対策として「地方創生」を訴えている。重要なのは、これは「石破オリジナル」ではなく、当時の安倍政権の肝いり政策の一つだったという点だろう。別に石破氏が勝手にそういう大臣や仕事を作ったのではなく、安倍首相(当時)の打ち出した政策だったのである。
 
 2014年6月、安倍首相は自身がトップとなる「地方創生本部」設置を表明。石破氏を初代担当大臣に任命したのはその2か月後である。安倍首相は地方創生を国家の成長戦略の一つとして位置付けていた。
 
 当時、まさに宮崎氏は自民党の国会議員だったはずなのだが、このあたりの経緯や政策にはさほど興味が無かったということか、それとも今回は石破氏を批判したい気持ちが先走って、ファクトやロジックを二の次にしたということか。
 
 石破氏が地方創生担当大臣を務めていたのは、2014年9月から2016年8月の約2年間。この時期、宮崎氏は同僚議員だった現夫人と結婚して育休取得を発表したかと思えば、不倫が発覚して離党、そして議員辞職と目まぐるしい展開の最中にいた。

 宮崎氏にとって激動の時期である。それだけに地方創生に疎かったということなのかもしれない。

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