田中みな実が「嫌われるのも分かる」と言われ続ける理由 「みんなに好かれたい病」は現代人を映す鏡か
「いい子でいたい」「期待に応えたい」……田中みな実は現代人を映す「鏡」である
田中さんは相手に合わせてキャラを変え、常に空気を読んで振る舞う。テレビでは「彼氏に紹介したくない女性」ともいえそうなあざとい振る舞いを見せつつ、女性タレントとの共演動画では「親しみやすくおもてなし好きな私」「美容情報を惜しみなく伝える親切な私」を演出する。フリーになりたての頃は、「友達がいない」など闇キャラっぽい面を出していることもあった。
その時代の求める女性像をかぎ分ける嗅覚と、バランスを保つ努力は並大抵ではない。しかし、好かれようとするあまり自分軸を見失うと、他人の視線に翻弄されてしまう。
「誰からも愛されたい」「期待に応えたい」と無理を重ねる姿は、もはや現代社会の縮図でもある。誰もがSNSで「どう見られるか」を意識しながら生きており、田中さんのように「嫌われたくない」気持ちを抱えているのだ。
本人や事務所がいくら否定しても、対人関係でネガティブな記事が出るたびに「田中みな実ならありそう」と思われてしまう空気感は問題である。でも一方で田中さんのニュースに対する注目度の高さは、「嫌われたくない」ともがく現代人の象徴ともいえる。田中さんの姿に「分かる」「見ていて苦しい」と感じる人が多いのは、彼女が「現代人のリアル」を体現しているからではないだろうか。
誰もが他者からの評価におびえながらもSNSで理想の自分を演出している。完璧であろうとするほど、孤独になる。愛されたいと願うほど、誤解される。田中さんの歩みは、現代社会の矛盾そのものを映している。もしかすると私たちは、田中みな実という「鏡」を通して、自分自身の不器用さを見つめているのかもしれない。みんなに好かれたい病、いわば「みんなのみな実病」は、実は誰の中にも潜んでいるのだ。
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