「Mステ」出演を拒否してAKB48を最初に卒業 “最年長”メンバーが苦渋の決断をしたワケ

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夢のような時間

 次第に「私は何のために頑張っているんだろう?」「今のこの時間は、何のための時間なんだろう?」という自問自答が始まりました。アイドルが好きで、秋元康さんのプロデュース、(ダンスプロデューサーの)夏まゆみ先生の振り付けで踊れるというのは、夢のような時間だったんですが……。

 周りの若いメンバーたちが、これからAKB48としてテレビなどの表舞台に立つ未来が広がっているとわかるからこそ、私の中で迷いが大きくなっていきました。

 体力的な限界も感じていました。当時のAKB48は1チームしかなかったので、チームKができるまでは全ての公演を自分たちだけでこなさなければならず、休みはほとんどありませんでした。土日には2回公演を行うこともあり、まさに体力勝負ですね。

 当時、私は秋葉原に住んでいました。友達とルームシェアをしていたのですが、劇場と自宅の往復はマネージャーが車で送迎してくれていたため、ドアtoドアの生活で、外の空気に触れる機会もほとんどありません。

 劇場公演をこなすのが精いっぱいで、じっくり考える時間も気力もなく、精神的に疲弊していったと思います。年が近かった折井あゆみや星野みちるとは「これからどうなるのかな?」という話をよくしていました。

 ただ、デビューしてオリジナルメンバーとしてステージに立ったからには1か月で辞めるわけにもいかず、どうしたらみんなの士気を下げずに辞めることができるのかタイミングを計っていて、ワンクール(3か月)で、セットリストを変えると言われていたので、そのタイミングかなと考えていました。

 そんな時、「Mステ」への出演が決まったんです。Mステに出るということは、AKB48の活動が世の中に大きく知れ渡るということですよね。ただ、そこにはスカートの丈が短い制服を着て、出なければいけませんでした。

 もう「辞めよう」と思っていた私にとって、制服を着て、ステージの端っこで踊る21歳の自分が、全国に知られることに耐えられなかったんです。

 私は結局、Mステには出演しませんでした。Mステに出る曲のジャケット写真を撮る際も、私は欠席しました。みんなは「写真撮る時いなかったね」とざわついたそうですが、「体調が悪かったから休んだのかな」と一時的には収まっていたようでした。その時にはAKB48を辞めるということは概ね決まっていましたが、絶対に他言しないよう約束していたのでメンバーはもちろん近しい人にも話すことはありませんでした。

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 第5回【秋元康氏にまさかの直談判「卒業DVD作って」 AKB48「最初のサプライズ」に舞台上はメンバー号泣の大パニック】では、宇佐美さんがAKB48からの卒業を伝えた時の様子などを振り返っている。

宇佐美友紀
1984年、埼玉県三郷市出身。2005年にAKB48のオープニングメンバーとしてデビュー。翌06年3月に卒業、グループ最初の卒業生となった。以後、ラジオパーソナリティ、イベントMC、ナレーターとして活動。現在は、BAYFMの「MUSIC SALAD」火曜DJなどを務める。17年に結婚、19年に第一子を出産している。

デイリー新潮編集部

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