横尾忠則が「描きたくないけど描く」理由 「絵とはこういうものでいいのではないか」

  • ブックマーク

 僕は原稿を書いて入稿するのが早いらしい。大抵の人は〆切ぎりぎりで仕上げるか、何度も催促されるか、中にはトンズラして逃げてしまう筆者もいるという。書くのがそんなにつらいのなら最初から引き受けなければいいのにと思うのですが、よほどマゾがお好きなんですかね。

 僕は催促されるのがイヤだから、原稿の〆切前に書いて、編集部に送ります。依頼されたその日に書いて送ることもあります。編集者泣かせの反対の編集者喜ばせです。このエッセイの原稿も年内分全部書いて編集者に渡しています。3ヶ月分はたっぷり書いて、間もなく次は来年の1月分を入稿する予定です。

 僕はせっかちな性格なので、原稿に限らず、何んでもすぐやるのが好きです。好きというより、常に空っぽの状態にいることが、ちょっと大袈裟に言うと「生きること」ではないかと思うのです。とにかく、問題を抱え込みたくないのです。抱え込むということはそれだけ問題を増やすことになって精神衛生上決していいことではないと思うからです。

 でも僕のような仕事の仕方をすると周囲の人のペースに合わないことがあります。すぐ仕事を片付けたくない人も沢山います。むしろそういう人の方が多いかも知れません。そういう人は常に色んな問題を沢山抱えて、それなりに苦しんだり悩んだりしているんじゃないでしょうかね。

 先っき言ったように僕はいつも空っぽでいることが好きなので、いつも時間がたっぷり余って、他に何もすることがなくて、一日の時間が長くて、退屈なのです。だからいつもアトリエのソファーでごろんと寝ころがって無為な時間の過ぎていくのをぼんやり眺めています。

 こんな僕のペースにスタッフも合わせなければいけないので、皆んな仕事が早く、サッサとやってくれます。だからわれわれのような仕事の人間は普通、いつも遅くまで残業をしていますが、うちの場合は残業など数年に1日あるかないかの労働時間です。もしうちのスタッフがうちを辞めて他所に勤めると、残業、残業で大変苦労するかも知れませんね。

 老齢になると時間の経つのが早いとよく言われますが、僕はその反対で時間の進行が遅く、地球の自転が静止したのではないかと思うほど、ピタッと止まったままです。こんなあり余った時間をどう過ごせばいいのか、よくわかりません。普通なら読書で時間をつぶすんでしょうが、残念ながら読書が嫌いなのが僕の趣味です。読書の時間があるなら寝ていた方が健康にいいと思っているのです。

 ならば散歩でもすればいいのですが、散歩も疲れるので、どこにも行きません。映画もコンサートも観劇も耳が難聴なので、どこへも行きません。面白くない人間だなあと思われるかも知れませんが、本当に面白くない人間なんです。

 ただ人が好きなので、気に入った人が遊びに来てくれるのをいつも待っています。そしてどうでもいい雑談で時間をつぶします。実に平和主義的な生活を送っています。そしてたまにソファーから身を起こして、描きたくもない絵を描きます。僕の絵は100号から150号の大きい絵ですから、描いている間は立ったままです。

 絵は子供の頃から90年近く毎日のように描いているので、とっくの昔に飽きています。なぜ絵を描くかと問われれば、「することがないので描いている」と答えるでしょうね。テレビで相撲を観ていると、相撲が好きな相撲取りはあんまりいないように思います。この人達の大半は生きていくために、取りたくない相撲を取っているのではないかと思いますが、僕はそんな相撲取りの心境とよく似ていて、描きたくないけど、これが生活というか人生というか、生きる手段なので、まあ、しゃーないと思って絵を描いています。

 また、絵とはこういうものでいいのではないかと思っています。相撲取りにひとりひとり、なぜ相撲を取るのか、相撲はそんなに毎日取るほど楽しいのですか、今日は取りたくないと思う日はないんですか、めしを食い過ぎて太ってしまったので、身の置きどころがないので仕方なく相撲を取っている人もいるんでしょうか? と一度質問をしてみたいと思います。

 絵も相撲とよく似たもので、僕も毎日キャンバス相手にひとり相撲を取って、今日は勝った、負けたと思いながら描いています。絵は相撲のように身体いっぱいに食べ物を詰め込むのではなく、僕の場合は頭も身体もできるだけ空っぽにします。そこは相撲取りとえらい違いますね。詰め込む人生は相撲以外にもあります。頭いっぱいに知識を詰め込む生き方もあれば、知識や観念や言葉を廃除して絵を描く生き方もある。それが僕の人生です。この生き方はコンセプチュアルアーティスト(観念芸術家)と全く反対の生き方です。観念芸術は時代の最先端の生き方です。それに対して僕の生き方はその反対です。時代遅くれの生き方を選びました。またこの原稿は3ヶ月前に書いたものです。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2025年10月30日号掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。