「高市政権が終われば復縁も……」 連立離脱「公明党」の揺れる心

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高市氏の当選から始まった

 石破茂首相が参院選の責任を取るか否かの混乱に始まり、自民党総裁選が行われて高市早苗氏が当選後に公明が連立を離脱し、高市氏が首相に指名されるかどうかわからない中で電撃的に日本維新の会と連立にこぎ着け……と秋の政局はめまぐるしく動いた。中でも最もインパクトのあったのは公明の連立離脱。野党となった公明党は、高市政権への批判的なコメントを発信しているが、本心はどうなのか。ここまでの経緯と彼らの本心をお伝えする。

「総裁選で高市氏が当選することを想定できた人は公明側ではほぼゼロでした。公明の連立離脱は電撃的でしたが、高市総裁が実現した時点で公明は学会の“懸念”の意思をじわじわと伝え始めました。麻生太郎氏の処遇をとにかく気にかけていましたね」

 と、政治部デスク。

 麻生氏の公明・学会嫌いは筋金入りだ。1994年、麻生氏は自民の亀井静香氏らと共に「憲法20条を考える会」を発足させ、公明・学会の関係に「規定される政教分離に違反している可能性がある」と疑義を呈し、実際に池田大作名誉会長への証人喚問も検討されたという。しかし、1998年の参院選で自民は敗北し、自民は公明との連立に舵を切り、自自連立から自自公連立へと発展。憲法20条を考える会は活動休止を余儀なくされた。

麻生氏だけではなかった

 さらに麻生氏は2023年9月、閣議決定された安全保障関連3文書への公明の対応を批判し、当時の山口那津男代表らや学会を「一番動かなかった。がんだった」と表現したこともよく知られている。

「“がん”とまで呼んだ麻生氏が政権に大きな影響力を及ぼすことが明確になってきて、さらに麻生氏が何の通知もなく国民民主党を連立に抱き込もうとしていることが伝わってきて、公明・学会側としては“看過しがたい”という判断に至りました。高市氏の靖国参拝などの政治姿勢には警戒を強めていましたが、裏金問題ともどもそこまで重要視されていませんでした」(同)

 麻生氏の“工作”については別の機会に触れるとして、そんな中、木原稔氏が官房長官に就任予定との報道が流れてきた。

「熊本1区選出で当選6回の木原氏は高市氏の最側近で、アンチ学会として選挙を戦ってきたことで知られています。それと関係なく彼女が木原氏を近くに置いておきたかったのは間違いありませんが、この人事が公明・学会の神経をさかなでしたことは想像にかたくありません」(同)

 高市氏の真意は別として、公明側からは「反・公明シフト」が取られているように見えたのは間違いない。

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