大谷翔平も追いつけない「MLB史上最高の選手」 ウィリー・メイズとは何者か(小林信也)

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度肝を抜く打球速度

 中学2年になる春休み、巨人対ジャイアンツ戦の舞台は伝説の東京スタジアム(南千住)。メイズはセンター前に低いゴロで抜けるヒットを打った。その打球の速さに度肝を抜かれた。私にとって長嶋茂雄が最高の選手。王貞治、柴田勲ら巨人選手が憧れの的だったから、見てはいけないものを見てしまったような戸惑いで混乱した。次元が違う……。試合は5対5の延長11回裏、王が2本目のホームランを打ちサヨナラ勝ち。長嶋も1本塁打。しかしまったく覚えていない。息をのむ間にセンターへ抜けたメイズの打球と、悠然と一塁に立つ彼のまぶしさだけがその日の記憶だ。

 今季も間もなくワールドシリーズが始まる。この時期になるとしばしば回想されるのが「ザ・キャッチ」。伝説となっているメイズのスーパー・プレーだ。

 54年のワールドシリーズ、ジャイアンツの本拠地ニューヨーク・ポログラウンドで行われたクリーブランド・インディアンス(現ガーディアンズ)との第1戦。2対2の同点で迎えた8回表、無死一、二塁でインディアンスのビック・ワーツがセンターオーバーの大飛球を打った。中堅手のメイズは背走し、背番号24を本塁側に向けたまま、後ろ向きで好捕した。

 抜けていれば間違いなく2点を失っていた打球。いや推定140メートルともいわれたその大飛球は、他の球場ならフェンスを越えていただろう。勝負を決めたはずの快打が、メイズのファインプレーで凡打に変わった。

 ポログラウンドはその年、中堅まで147メートルと表記されていた。今では考えられない構造だが、バックスクリーンの前だけ、四角い形で深く切れ込んでいた。メイズはその空間に走り込んでキャッチしたのだ。

 ジャイアンツは延長10回5対2で勝ち、そのまま4連勝でワールド・チャンピオンに輝いた。メイズのザ・キャッチこそがシーズンの明暗を分けたとファンはたたえた。そのプレーの重要さへの称賛も込めて、ザ・キャッチは「野球の歴史の中で最も記憶に残る最高のプレー」と認められている。

 メイズは2024年6月18日に93歳で亡くなった。その偉業、その情熱は次代の選手たちに受け継がれている。バリー・ボンズが背番号24をつけたがったのは、言うまでもなくメイズに対する憧れと深いリスペクトの表れだ。

大谷翔平に驚き

 そのメイズが、大谷がメジャー挑戦を始めた時、うらやましがっていたと、長男のマイケルが証言している。以下はスポニチの報道だ。

〈「彼の時代は二刀流を許してもらえなかったからね。だからエンゼルスで両方を続けることが許されると知って、驚いていた」

 メイズさんも二刀流で行けたと思うか、の質問に「やれたと思うよ。プロに入る前は投手もやっていたからね。それだけじゃない、アメリカンフットボールではQBで、バスケットボールではポイントガードで活躍した」〉

 あのメイズをも半ば嫉妬させた大谷。だからこそ、少しでもメイズの記録に近づいてほしい。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部などを経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』『武術に学ぶスポーツ進化論』など著書多数。

週刊新潮 2025年10月23日号掲載

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