公明党に“反旗”の自民「小野田紀美氏」が初入閣 “自公連立解消”に先鞭をつけた「岡山のジャンヌ・ダルク」3年前の圧勝劇
注目を集めたツイート
2011年、東京都北区の区議選に自民党から立候補して初当選。15年に再選を果たすが、16年7月に行われた第24回参院選で岡山選挙区から出馬した。担当記者が言う。
「岡山選挙区は、参議院議長や民主党最高顧問などを歴任した江田五月氏(1941~2021)の地盤ということもあり、これまで自民党の候補は苦戦してきました。16年7月の参院選には江田氏の後継候補も出馬し、激しい選挙戦を繰り広げましたが、最終的には約10万票の差をつけて小野田氏が勝利。この時の選挙では、小野田さんは公明党の推薦を得ていました」
小野田氏と公明党の間に“亀裂”が生まれたのは、今年1月15日のことだった。この日、共同通信が「公明、自民推薦の見送りを検討 参院選、地方組織に伝達」の記事を配信し、YAHOO!ニュースにも転載された。
「小野田さんは自身のTwitterの投稿にYAHOO!ニュースのリンクを貼り、《政党が違うのですから、選挙は他党の推薦ありきでやるのではなく、それぞれ自由にやるのが自然ですよね。公明党さんの推進見送り検討、共感します》とツイートしました。これが公明党=創価学会の逆鱗に触れたのです」(同・記者)
自公連立の歴史は、小渕恵三氏(1937~2000)が首相だった1999年10月の小渕第2次改造内閣の誕生に遡る。以来、自民党と公明党は、国政選挙で相互協力を行ってきた。
「公明党嫌い」との声も
だが、今年1月にちょっとした“異変”が起きた。自民党と公明党の間で、選挙協力に対する“温度差”があるのではないかと関心を集めたのだ。
自民党が一部の選挙区で公明党候補の支援に難色を示したとされ、そのため山口那津男代表(69)は「自民党候補者への推薦見送りを検討」していると報じたのが、上に紹介した共同通信の記事だ。
「結局、今回の参院選で自民党と公明党の間では選挙協力が成立しました。対象となった43選挙区のうち、42選挙区では協力が維持されたのです。ところが、小野田さんの岡山選挙区だけが唯一の“自公離反”となってしまいました」(同・記者)
小野田氏が公明党に対して“突っ張り”続けた理由は、デイリー新潮「公明党の推薦はいらないという岡山『自民党参院議員』 地元の県議は『えらい迷惑な話だ』」(6月21日配信)の記事で解説している。
地元・岡山県議が、記者の「なぜ小野田議員は公明党の推薦を拒否したのか」という質問に、以下のように答えた。
《「公明党が嫌いなんでしょう。公明党は中国寄りですし、憲法9条改正には反対で、自民党が憲法改正をしようとすると、手枷足枷をかけてきますからね」》
第2回【初入閣「小野田紀美」経済安保相が開けた「脱・公明」というパンドラの箱…故・安倍首相も評価した“新世代の政治手腕”】では、小野田氏が自公分裂という“パンドラの箱”を開け、それが今の政局に影響を与えている可能性について詳細に報じている──。






