ホテル密会・小川市長は「典型的な相談女」か 魔性オーラは「男社会で愛される女」の生存戦略?

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「相談」は免罪符にならない 「相談女」小川市長のズレた価値観

「相談」は本来、信頼関係の証しのはず。しかし、その言葉が「男女の境界線」をあいまいにするための免罪符のように使われるとき、そこには往々にして甘えと計算が入り混じっている。とくに政治の世界は、今なお「男社会」の気配が濃い。議会での振る舞い、有権者との距離の取り方、そしてメディアへの発信力……すべての場で「人たらし」、とりわけ「男たらし」が重宝される。その空気を、優秀な女性ほど敏感に読み取っているはずだ。

 政治家や経営者が若い女性から「悩みを聞いてほしい」と誘われるとき、そこに恋愛感情があったかどうかは問題ではない。むしろ、立場のある既婚男性が「対等な相談相手」として若い女性と二人きりで会うという行為自体が、リスクを伴うことを理解していないことが問題なのである。

「相談」の名を借りた親密さの裏には、「頼られる自分」を気持ちよく感じてしまう男性心理と、「男性社会でかわいがられたい」女性心理が共犯関係のように絡み合う。小川市長は部下である男性とのその「距離感」が、市民や世間にどう見えるのか、致命的に認識が甘かったといえる。

 小川市長は「男女の関係ではない」と潔白を訴えているが、問題はそこではない。ホテルで人事を含む仕事の相談を部下とするような軽率な行動を取った人物が、組織や市民との信頼関係を築けるのか。恋愛スキャンダルというより、これは「信頼ガバナンス」の崩壊だ。有権者にとっては誠実さこそが最大の公務。まして「相談」という言葉を使って関係をぼかすやり方は、誠意ではなく逃げ口上に見えてしまう。

「支援者や弁護士に相談する時間を頂きたい」と話していた小川市長。つくづく「相談」が好きなようだが、13日の市民との対話集会で「約束した選挙公約を進めるのが責任だ」と続投に意欲を見せた。自身の「相談力」は、市民との信頼回復にこそ使ってほしいものだ。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部

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