DeNA・三浦監督は2位でも辞任…好成績なのに退任した“監督列伝”
昨年、シーズン3位からチームを26年ぶり日本一に導いたDeNA・三浦大輔監督は、4年連続Aクラスの2位という好成績にもかかわらず、阪神の独走を許しリーグ優勝を果たせなかった責任を取り、今季限りで辞任することが決まった。そして、過去にも好成績を収め、続投と思われたにもかかわらず、辞任した監督が何人か存在する。【久保田龍雄/ライター】
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否めない後味の悪さ
まず、DeNAでは、前身の横浜時代に、大矢明彦監督が就任2年目の1997年にチームを5位から2位に導いたにもかかわらず、事実上解任されている。
同年は、エース・斎藤隆の離脱などから4月は最下位に沈んだものの、夏場以降は、若手投手の台頭やマシンガン打線を売りに、一時は首位・ヤクルトに肉薄する健闘ぶりを見せた。
9月2、3日とヤクルトに連敗して失速したものの、大矢監督は6年連続Bクラスだったチームを18年ぶりの2位に押し上げ、33年ぶりの70勝以上(72勝)も記録した。
だが、本拠地最終戦となった10月6日の中日戦の試合前、球団側から来季の契約を更新する意思がない旨を通告された。大堀隆球団社長は「(2年間の)契約期間が切れたら、私の常識では退団が前提」と説明したが、それは「2位にはなれても優勝はできない」という判断からだったといわれる。
「やることはやりました。すべてやり残すことなく、終われたと思います」という言葉を残して退団した大矢監督だが、翌98年、チームは権藤博監督の下、38年ぶりのリーグVと日本一を実現し、「日本一の土台を作った」と再評価された。
近年では、2019年に就任した楽天・平石洋介監督も、前年の最下位から3位に躍進し、CS進出を果たしたにもかかわらず、ファーストステージ敗退後、任期満了を理由にたった1年で解任された。石井一久GMは「バントやスクイズなどの精度やサインミスなどの多さ、走塁を含めた先の塁への意識改革が1年を通して改善しきれなかった」と説明したが、後味の悪さは否めなかった。
その後、平石前監督は、球団側が用意した「2軍統括」への降格人事を断り、ソフトバンクの1軍打撃兼野手総合コーチに就任した。
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