“長嶋巨人最下位の元凶”と言われた「デービー・ジョンソン」 日本野球の洗礼を浴びた日(小林信也)

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 長嶋茂雄は引退してすぐ1975年に巨人軍の監督になった。

 常勝巨人のファンは当然のように1年目からの優勝を期待した。しかし、3番、4番にサード長嶋の名がない。その穴は大きかった。

 しかも、頼みの王貞治までがオープン戦終盤に足を痛め、序盤戦を欠場した。開幕戦のオーダーは1番柴田勲、2番富田勝(サード)、3番高田繁、4番末次利光。迫力不足は否めなかった。序盤から黒星が続き、最下位が目の前に迫った。

 ファン待望のビッグニュースが飛び込んだのは、4月12日だった。...

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