「ああでもない、こうでもない、と愚痴をこぼしながら書くのがエッセイ」 横尾忠則がダラダラと考えたこと

  • ブックマーク

 描きかけの絵をアトリエで終日ぼんやり、見ていることがある。この先き、どうすればいいのか、どうすればどうなるんだろう。この絵の完成形は誰が知っているのだろうか。神か? そんな大袈裟な存在ではなくとも、誰かが知っているはずだ。その誰かとは誰だ。この僕か、多分そうだろなあ。

 一寸先きは闇というが、本当にこの絵がどうなるのかさっぱりわからない。この絵は描きかけのまま、もう1週間以上放置されたままだ。食べ物なら腐るだろう。そろそろナントカごみになるに違いない。この「ごみ」の頭につける形容詞がどうしても浮かばないのは物忘れのせいだが、その物忘れは最早、アルツハイマー化しつつある。

 物忘れの激しさは日に日に進行しているように思う。言葉が出ないのである。その言葉がしっかり肉体化していない証拠かも知れない。僕は物書きではなく絵描きだから言葉が身体の中で消滅したからといって、絵が描けないわけではないが、もし物書きなら失職するところだろう。

 幸か不幸か知らないけれど子供の頃から言葉はブロックされてきたので、そのわずかな語彙で何んとか今日まで生きてきているし、これからはもっと語彙が減っていくと思うけれど、それもいい。言葉が一言も一字も出なくなった時が死だと思えばいいのである。

 あっ、今思い出した。「ごみ」の頭につける言葉を。それは「粗大」である。「粗大ごみ」と書こうと思って、その「粗大」という言葉がどうしても出てこなくなったので、このエッセイが方向転換してしまったのである。

 今、目の前に立てかけてある大きい絵が、筆が止まってしまって、この先きどうすればこの絵が描けるのだろうか、ということでこのエッセイが始まったのが、途中で言葉が出なくなってしまったということで、このエッセイを元に戻して、この絵が、この先きどのような運命を辿ろうとしているか、についてあれこれ考察を続けるべきか、この辺で諦らめて、描きかけの絵から離れて、他の話題に移るべきか、というところが今の現状であります。

 エッセイはテーマを持って書くのもいいけれど、今の僕のように途中からテーマを喪失してしまって、困っているのだけれど、エッセイは元々テーマなしで書くものだから、このまま、あゝでもない、こうでもない、と愚痴を溢しながら原稿用紙の枡目を埋めていけばいいんだと思いますよ。

 僕は今だに文章を書く時は市販の原稿用紙に書きます。スマホもパソコンも使い方を知らないというか、そのような近代兵器みたいなものには全く興味がないのです。興味がないというか、使い方がわからないだけのことです。あればいいだろうなと思うのですが、今さら、余計なことで労力というか神経を使いたくないのです。これは妻も同様で、夫の僕に似たのか、妻に僕が似たのか知りませんが、このようになってしまっています。

 とここまで書いてきてから、先っきまでの「だ」とか「である」とかの言葉が、ここにきて、急に「です」「ます」に変っていることにふと気づきました。僕は文筆家じゃないので文体など最初からありません。その時の気分で思ったこと、考えたこと、直感したことをただ書いているだけです。だけどこれが文筆家なら、少しは立派な上手い文章を書こうとするのでしょうが、僕の場合、そんな面倒臭いことに神経など使いたくないので、その点は救われます。

 自分をよく見せようとかという気持が多分少ないんだと思います。だから好かれても嫌われてもどっちでもいいのです。

 話は変りますが、間もなく午前11時半になります。近くのコンビニに自転車で昼の食料品を仕入れに行かなければなりません。何を食べるかを考えることは面倒臭いです。よく家で夕食を食べ終ると同時に、妻は「明日何を食べる?」と聞きます。まだ口の中に夕食の食べ物が残こっているのに明日の夕食ですか? と思うのですが、妻にとっては毎日の夕食の献立てが大変らしいのです。僕は幸い何を食べたいとかいう好みがないので、妻が作るものは100%頂いています。実に上手いタイミングで料理を出してきますのでいつも感心しています。決まっているのは毎週日曜の夕食はステーキです。だからこのことでは妻は悩んでいないと思いますが、どうやら一日中、今夜の夕食は何を作るかで頭の中が爆発するくらい考えているのかも知れません。

 とここまで書いた所でコンビニに行きました。玄関のドアを開けると蟻が熱いコンクリートの上を走りまくっていました。裸足なのできっと足の裏が熱くて急いでいるのでしょう。

 田中小実昌さんがエッセイは思ったことをダラダラ書けばいいと言っていましたので、それに習ったら今回はこんなものになってしまいました。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2025年10月9日号掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。