ふるさとが夢に出てくるのは「子ども時代が幸せだった」から? 横尾忠則が実体験明かす
郷里というのは不思議なもので、いつも身体の一部のようにどこに行ってもついて廻っているような気がするのですが、郷里とは一体何んなんでしょう。
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僕の場合はいつも郷里の風景が、頭に浮かぶというか眼前にベタッと貼りついたスクリーンのように見えるんです。そして郷里をいつも散策するように、知っている通りを頭の中でぐるぐる歩きまわっています。
その風景は郷里に住んでいた頃の風景であったり、その後訪ねて、昔と変化した風景だったり、今昔混合した創造的風景であったりしますが、頭の中ではかなり精密に描写されます。そして時には動画になって移動することもあります。
僕が郷里を出たのは高卒の後ですから、すでに70年が経ちますが、たった今そこを歩いてきたように実に明瞭に見えます。年代によって変化した場所も同時に新旧とりまぜて見えるのです。
僕は郷里を出た後、見る夢のほとんどで郷里が舞台になっているのです。郷里を舞台に、その後知り合った人達がそこに現われて、夢を物語ります。
不思議に思うのは、郷里にいたのはたった18年なのですが、その18年がその後の70年をカバーしていることです。夢で見る家は大抵が郷里の家です。その家に今の家の一部がちょっと顔を出します。つまり夜になると僕は夢の中で郷里に帰るのです。だから、昼は東京で、夜は郷里という二重生活をしているのです。
他の方はどうなんでしょう。僕と同じような今昔世界で生活しておられるんでしょうか。僕にとってこの二重生活は虚と実ということですが、最近は両者が混ざり合ってしまって、不思議でもなんでもなくなってきています。
この不思議な現象をどう説明していいのか、心理学者の先生にでも説明してもらわなければわかりません。以前、心理学者の河合隼雄先生に、郷里が夢に頻繁に現われる理由を聞いたことがあります。すると、河合先生は、「それは子供の頃、よほど幸せな生活を体験されてきたことに理由があるように思います」と説明して下さいました。
ということは、幸せだった頃にいつも戻りたいという願望が、そのような夢を見せてくれるんですかね。
そこで僕にとって子供の頃の幸せって何んだっただろうと考えてみました。
僕は子供の頃、大半の時間は絵を描いて過ごしていた。ひとりっ子で兄弟と遊ぶこともなかった。子供の楽しみというと僕の場合はやっぱり絵を描くことだった。とにかく絵を描くことが一番の楽しみだった。今でも僕にとって絵を描くことは仕事ではなく遊びです。ひとりで遊べる遊びでした。なぜ絵を描くことがそんなに楽しい遊びかというと、誰かが描いた絵をそっくりに模写するのが楽しかったのです。
自分で想像して描く子供の想像画や写生をする絵などには全く興味がなく、絵本などの絵をそっくりに写すことが面白かったのです。自分の個性を発揮して表現しようなんてそんな芸術的なことには全く無関心でした。人の絵の物真似が最高に面白かったのです。それが僕にとっては遊びだったんです。
子供は勉強など嫌いです。そんな時間があるんだったら、外に飛び出して友達と遊びます。僕にはいつでも遊べる友達がいなかったのか、それともいたかも知れないけれど、やっぱり模写をするほど面白いことはなかったのかも知れませんね。
模写というのは、そのオリジナルな絵を描いた人の気持や技術と一体化することです。ということは自己表現というより、むしろ自分を失くして、他人になることです。自分という存在がある間は、その自分にどこか執着するので、完全には遊べません。
だけど、自分という存在を消してしまうと無責任になれます。遊びとは自分の存在を消して、無責任になることです。自分に拘わっている間は十全的に遊べません。自分を手離して初めて、人は自由になるのです。
そんなことを僕は子供の頃に、他人になり切るという模写の行為によって知らず知らずに学んだのかも知れませんね。自分を失くすということは完全に自由になることです。自由とは最高の遊びです。
それを僕は知らず知らず人の絵を模写することで体得したんでしょうね。だから、子供の頃は楽しく面白く、幸せだったんです。なるほど、河合先生は遊びを通して人間が自由になるということを、あのような言い方で表現されたんでしょうか。
夢というのは無意識の産物です。面白いこと、楽しいこと、幸せなことは全て顕在意識ではなく無意識行為です。子供が夢中になって遊びに集中するということは無意識状態、つまり、無責任状態になっているということです。だから、わかりました。僕の夢にはいつも子供時代に過ごした郷里の風景が出る意味が。


