年寄りに「ハゲ」と言っても意味がないのはナゼか…放っておいても歳を取ると“見た目のコンプレックス”から解放される
お前の20年後じゃ
低身長については、小学校低学年ではそこまで大きな差がつかず、揶揄の言葉にはなりにくかった。ところが中学生になり、体力と腕っぷしが重要になってくる頃になって「チビ」が俄然、揶揄的な用語として威力を発揮し始めるのだ。とはいえ、大人になると、ケンカやスポーツの強さによって、その人の価値が判断されるわけではなくなるため、当然ながら、揶揄の対象にはなりづらくなる。
薄毛も同様である。地方新聞には同窓会の集合写真がよく載っているが、「〇〇小学校1955年卒業」なんてキャプションのついた写真を見ると、現在82歳の男性諸氏は見事に薄毛だらけである。多分、仲間内で会っても「うひゃー、お互い毛が抜けたなー!」なんて笑い合うのだろう。みんなが等しく薄毛であれば、孫の友達から「お前の爺ちゃんハゲてるな」なんてことも言われない。年齢が高くなれば薄毛率は増加するのである。その時がレアキャラでなくなった時だ。昔、乙武洋匡氏と喋っていた時こんな会話になった。
私:差別・揶揄の対象ってなんで決まっていくんですかね?
乙武:珍しいからでしょう。
私:たとえば小学生の時、メガネをかけている同級生は「メガネ野郎」や「のび太」なんて言われてバカにされていましたが、大人になるとあだ名にすらならないですよね。
乙武:大人なんて、メガネをかけるのが当たり前過ぎて、レアキャラじゃないから差別の対象になり得ないんですよ。だから、高齢者に対して「ハゲ!」と言っても「だから何? お前の20年後じゃ」とか言われるだけですよ。
乙武氏のこの言葉を聞いた時、なるほど、と思ったのだが、揶揄や罵倒の対象になるのは常にマイノリティであることも確認できた。だからこそ人はマジョリティになろうとするし、「出る杭」になろうとしないのだろう。ただ、マイノリティとして異端なことをした方が、起業するなどして、案外金銭面や社会的地位の面では成功することも多い。コンプレックスを持ってしまうことは自らがマイノリティである、と考えることである。いや、それではいけない。「私は特別な人間なのだ!」と前向きになってコンプレックスなんて吹き飛ばし、堂々と生きれば人生好転するかもしれない。





