「敬遠合戦」や「ずる休み」より大きな価値あり! 不利な条件でも、最後まで出場してタイトルを勝ち取った名選手列伝

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ベンチに戻ってきた上林に「ありがとう」

 消化試合の登板を回避して全日程を終えれば、そのまま最高勝率のタイトルを獲得できたのに、あえても最終戦に志願登板した結果、あわやタイトルが幻と消えかかる二転三転のドラマを体験したのが、ソフトバンク時代の千賀滉大だ。

 2017年、すでに13勝4敗の勝率.765をマークしていた千賀は、規定投球回不足ながら、最高勝率の「13勝以上」という条件もクリアしていたので、消化試合に登板せず、タイトルを確定させる手もあった。

 だが、前回登板した9月25日の楽天戦で7失点と打ち込まれたことから、「不調のままCSを迎えたくない」と、10月6日のオリックス戦に志願して先発した。規定投球回数まであと6イニングというのも理由のひとつだった。

 ところが、初回に小谷野栄一に先制タイムリーを許し、5回にも若月健矢、T-岡田に連続被弾、0対3とリードを広げられる苦しい展開となった。

 味方もその裏、中村晃のソロで1点を返したが、あとが続かない。6回3失点で降板した千賀は、このまま負け投手になると、勝率も.722となり、2位のチームメイト・東浜巨(.762)に抜かれてしまう。千賀自身も「(タイトルは)ないと思っていた」と半ば覚悟した。

 ソフトバンクは7回に中村の犠飛で1点差に追い上げたが、もう1点が取れず、試合は2対3のまま9回へ。逃げ切りを図りたいオリックスは、守護神・平野佳寿を投入してきた。

 あとがなくなったソフトバンクは、1死から中村が安打で出塁も、次打者・松田宣浩は遊ゴロに倒れ、あと1人となった。

 そんな追い詰められた状況で、救世主が現れる。2死二塁から上林誠知が平野の初球を右前に運び、中村の代走・川島慶三が同点のホームイン。この瞬間、千賀の黒星は消え、最高勝率のタイトルも確定した。ハラハラドキドキしながら戦況を見守っていた千賀も、思わず万歳して喜び、ベンチに戻ってきた上林に「ありがとう」と感謝の言葉を贈った。

周囲に感謝

 防御率4点台でリーグ最多勝という、あまり名誉ではない珍記録をシーズンラスト登板で免れたのが、西武・多和田真三郎だ。

 9月11日のオリックス戦でハーラーダービー単独トップの14勝目を挙げた多和田だったが、この時点で防御率は、規定投球回に達した投手の中でワースト2位の4.14。1985年の佐藤義則の4.29以来、33年ぶりの防御率4点台の最多勝投手が生まれるか、コアなファンの注目を集めていた。

 そんななか、多和田は9月18日の日本ハム戦を7回途中自責点1で15勝目を挙げると、同24日の楽天戦も、白星こそつかなかったが、7回途中自責点1と2試合続けて好投。この結果、防御率も3.94と、ようやく4点台から脱出した。

 そして、シーズンラスト登板となった10月1日の日本ハム戦、失点いかんによっては、また4点台に逆戻りという正念場の試合で、多和田は8安打を許しながらも、8回を自責1の粘投。2位のチームメイト・菊池雄星に2差の16勝目を挙げるとともに、防御率も3.81(リーグ8位)まで良化させた。

 プロ3年目の初タイトル実現に、多和田は「状態のいいときも悪いときも、野手の方、中継ぎ投手の方に助けられて感謝しています。シーズンを通してバッテリーを組んだ森友哉にアドバイスを貰いながら獲れた賞だと思います」と周囲に感謝していた。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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