「セ・リーグ」DH制導入で“投高打低”は打開される? 日本初採用「1975年のパ・リーグ」ではことごとく“打撃成績を落としていた”

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1975年のパ・リーグ

 50年前の1975年にDH制を導入したパ・リーグは、前述の球団スタッフのコメントからも窺えるように、打撃特化型の選手やベテランをはめるだけでは「DH制による得点力のアップ」を生み出せないことを知り尽くしている。今回、セ・リーグが1年の移行期間を設けて2027年導入としたのは、そんなDH制の奥深さを研究する時間が欲しかったのかもしれない。

 実際、DH制が導入された75年のパ・リーグを調べてみたら、多くのしくじりもあった。

「半分しか、野球をやっていない感じ」

 これは阪急ブレーブス・長池徳士氏(81)が“DHの初代ベストナイン”に選ばれたときに発した言葉である。

 DH元年の長池氏の成績は打率2割7分、本塁打25、打点58。4番バッターとしては物足りない数字であり、前年は打率2割9分、本塁打27、打点96だったから、DHにまわったことで成績も落としてしまった。トータルでの出場試合数は103、うちDHで96試合に出場しており、前年まで2年連続打点王だった経歴も考えると、持ち前の勝負強さも影を潜めてしまったようだ。

 また、興味深いのは、他球団の近鉄、南海、日本ハム、太平洋、ロッテのDH選手も例外なく、打撃成績を落としていたこと。とくにロッテはトータルで20人もの野手をDHでテストしており、全6球団が「戸惑った」と言っていいだろう。

 かつて、ある近鉄OBがこんな話をしてくれた。

「75年は『4番DH・ジョーンズ』で開幕戦を迎えました。彼は前年の本塁打王(38本)でしたが、ファーストの守備がヘタ。ジョーンズの守備に泣かされた先輩投手の話をよく聞かされました。DHにもっとも向いていると言われたのに4月は不振。西本(幸雄監督)さんは泣く泣く5月にファーストに戻したんです」

 同年、日本シリーズに駒を進めたのは後期優勝チームの近鉄。ペナントレース前期は3位だったが、後期、プレーオフの勝因の一つにジョーンズが4番として機能したことも挙げられている。西本監督は伊勢孝夫氏(80)、佐藤竹秀氏など、出場機会の少なくなったベテランをDHに入れていた。優勝チームでもDHを巧く使いきれなかったわけだが、“読み違い”をしてしまったのがロッテだった。

「得津高宏氏(78)が主にDHを務めましたが、シーズン途中、DHを予定して外国人選手を獲得しました。後期44試合にDHで出場したマクナルティは、打率1割9分、本塁打13。マクナルティはアスレチックスでDH制を経験していますが、DH選手としての調整、モチベーションの維持の仕方など全然分かっていませんでした。そもそも、メジャーリーグのア・リーグがそれを導入したのは73年。メジャーリーグもDH制を導入して間もなかったため、まだ研究過程だったんです」(NPB関係者)

効果はどこまで?

 導入3年目の77年、代打の切り札的な存在だった高井保弘氏がDH制で出場機会を増やし、初の規定打席数に到達した。

 79年にアキレス腱断裂の大ケガを負った門田博光氏が44歳まで現役を続けられたのはDH制があったからであり、86年オフに肝炎となりながらDHで出場した石嶺和彦氏(64)は翌87年、打率3割1分7厘、本塁打34の好成績を残した。パ・リーグもDH制を使いこなすまで長い時間を要したのが真相だ。

「レギュラーも打順も固まっている今の阪神なら、DH制は必要ないでしょう。ショートの定位置争いで熊谷敬宥(29)に遅れを取った小幡竜平(24)、木浪聖也(31)、三塁のヘルナンデス(29)などの出場機会を増やしてやる程度にしか捉えていないようです」(在阪記者)

 阪神以外の5球団は得点力アップにつなげたいと思っているはずだ。クライマックスシリーズ(以下=CS)のような短期決戦では得点好機でモチベーションが上がるバッターが重宝される。今年のセ・リーグCSではどんな選手がキーマンになるのか。それによって27年の様相も見えてきそうだ。

デイリー新潮編集部

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