「ふっふっふっ、面白く生きないとね」…「樹木希林」はなぜ「内田裕也」を見捨てなかったのか 生前に明かしていたその理由

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生活費も本木さんが面倒を見てます

 暴力を振るわれたりはしないのだろうか。

「刑事さんが言うには、今回の女性には暴力じゃなくて、ステッキを持って振り回したりね。あたしの場合は肋骨を折られたこともありましたしね。包丁だって何本も欠けてるし。あたしもやるんだから、『コノヤローッ』って。やり合うから欠けるんです。だから、あっちばかり悪いということはないし、だから収まらないわけです。背中合わせでそっくりなんです」

 歪な夫婦関係のなかに、人間の出会いや絆の本質が見えるのは、樹木ならではだろう。さて、この時の後日談は、翌12年2月に語ってくれた。

「示談金から弁護士費用まで本木さんが出してくれたの。あたしにはそういうお金を払う人の良さはありません。今は月々の生活費も本木さんが面倒を見てます。それでも内田さんは『こんなんじゃ足りねぇ』って。まぁ本木さんにとっては親ですから、怒るもなにもそういうことを承知で(娘と)結婚したわけで、今はあきらめていると思いますよ」

他の人とはいろんな意味で、人生が違ってる

 日本アカデミー賞の受賞スピーチで、「あたし全身がんなので、来年の仕事、約束できないんですよ」と告白したのは、2013年3月のこと。その直後、訪ねた記者に、

「この話、みなさんにお断りしてるのよ。お宅だけに喋るとほかの人に悪いじゃない。だからさ、これはキチンと書いておいてよ。あたしはお宅にもちゃんと断ったんだからね」

 と念押しして話してくれた。樹木は2004年に乳がんを経験していたが、

「手術のあとに転移しましてね。もう5年くらい前になるかな。医者から『あなたはもう“全身がん”だから、いつどこへ出ても不思議でないですよ』って言われた。だから、ずっと全身がんなんですよ。

 がんになると、仕事をしなくなる人もいるって聞くけど、あたしの場合、50年もやってるとね、義理の仕事が辞められなかっただけ。だからこうして来年のアカデミー賞の仕事のことまで心配しなきゃならないわけですよ。生きてればね、義理があるから。そんな感じで生き続けているんですよ。

 でもね、もう70歳を過ぎたらね、他人に文句言われなくてもいいわよね、って思ってるんです。あははは。でも別にね、なにか覚悟を決めてるとかそんな素晴らしいものではないの。欲がないだけ。あたしは欲がないの。いや、まったくというわけじゃなくて、みんなとは欲をかくところが違うのかな。他の人とはいろんな意味で、人生が違ってるからね、あたしはさ。

 でもね、つい飲んじゃうのよ、お酒。飲みすぎないように気をつけてはいるんだけどね。逆に、とにかく薬が嫌いだから困っちゃうわ。ただね、薬飲まないで死んじゃう人が出ても困るから、くれぐれもあたしの真似はしないでね。人それぞれなんだから。けど思うのよ。あたしのがんが、もし簡単に治っちゃってたら、もう少し野放図に生きていたんじゃないのかしら。ま、今でも十分野放図ですけどね。ふふ。野放図のあり方がもう少し増してたかもね。ですからね、ちょっとは謙虚になってるんですよ」

 ***

「そしたら『頼むから独りで逝ってくれ』って」――。第3回【“全身がん”告白後の「樹木希林」が明かした死生観「面倒臭いから独りで逝きたいわよ」】では死生観、家族、ライフスタイルについて率直に語っている。

デイリー新潮編集部

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