「頂き女子りりちゃん」事件、なぜ「おぢ」は大金を渡したのか コロナ禍の孤独と「まさか自分が」の心理

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「私がやるしかない」

――渡辺受刑者は、母親が裁判の証言台に立ってくれないことに不満を抱いていたようですが、なぜ、母親は証言台に立たなかったのでしょうか。

 渡辺さんの母親は、本当に周りに相談する人がいなかったそうです。当時は、元参院議員のガーシー(本名・東谷義和)氏の事件があって、ガーシー氏のお母さんがワイドショーに顔を映されていたんです。

 もし証言台に立って、顔がされされると働けなくなると心配していました。働けなくなれば、娘が出所してきた時に賠償金や罰金などの助けをしてあげられなくなり、親子共倒れになってしまうことを心配していたんです。

 渡辺さんにはお姉さんがいるのですが、母親は姉の結婚などの将来に影響を及ぼすことも心配していました。近所にバレることを避けるために、顔出しを拒否していたんです。実際、裁判で顔出ししなくてもよいのですが、それを助言してくれる人が周りにいなかったというのが実情です。

――現在、渡辺受刑者と母親との関係はどのように変化していますか。

 母親は渡辺さんに断られても断られても、会いに行っていました。渡辺さん自身がSNSで母親を非難するような内容を公開した際は、大きなショックを受けておられましたが、それでも会いに行くことを繰り返しました。

 結果として、今では関係が修復されているようにみえます。母親は岐阜の(渡辺受刑者が収容されている)笠松刑務所まで月1回、必ず面会に行き、手紙もこまめにやり取りしています。刑務所まで行って時には喧嘩して帰ってくることもあるそうですが、関係は良好なようです。

 最初は「どうしようどうしよう」と途方に暮れている様子でしたが、今は「娘のために何ができるか」を自ら考えて行動しています。加害者の親としてのコミュニティを探したり、罰金などをどうやって支払っていくのか調べたり、詳しい人にコンタクトを取ろうとしたりしています。

 別で支援していた方がいなくなってしまったため、「もう私がやるしかないんです」と覚悟を決めています。娘が出てくるのを待っていたら自分が60歳になってしまうから、「今やらないとダメなんです」という強い思いがあるようです。

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 第4回【「人間やめたい」「サーモン食べたい」獄中から届いた手紙…「頂き女子りりちゃん」の“今”】では、宇都宮氏が渡辺受刑者から最近来た手紙などについて語っている。

宇都宮直子
1977年3月27日、千葉県出身。多摩美術大学美術学部卒業後、出版社勤務等を経て、フリーの記者に。事件や芸能分野を中心に取材活動を行う。今年、『渇愛 頂き女子りりちゃん』(小学館)で第31回小学館ノンフィクション大賞を受賞。著書に『ホス狂い~歌舞伎町ネバーランドで女たちは今日も踊る~』。

デイリー新潮編集部

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