《石破首相に読売トップが謝罪》報道で蒸し返された「退陣スクープ」はどのようにして作られたのか
退陣報道はどのように進められたのか
そもそも退陣報道はどのように進められたのか。
「石破政権を支える屋台骨の森山裕幹事長にももちろん取材はしていたとは思いますが、首相の退陣を報じるにあたってそれだけでは十分でなく、これ以上ないところ、つまり石破氏本人から“辞任”の意思を確認する必要があります。石破氏は参院選での敗北が現実味を帯びて行く中で退陣は不可避と考え、そのことを7月20日の開票日前から読売記者も把握していたとのことです」(同)
読売は開票翌日の21日にも「退陣へ」と報じることは可能だったようだが……。
「最終的に自公で47議席を獲得し、石破氏は“思ったほど負けなかった”“投げ出さずに頑張れば状況を好転させられるのではないか”などと考え始めたようなのです。心変わりと言うか“辞めるのをやめるかもしれない”ことが読売記者に伝えられた結果、参院選直後の退陣報道は回避されたのではないかと見られています」(同)
改めて石破氏本人から確認
ところが、23日に退陣が報じられる。号外に至るまで両者間でどんなやり取りがあったのだろうか。
「そこはハッキリとしないのですが、読売は改めて石破氏本人から退陣の意思を確認したようです。号外を出すにはそれなりにお金がかかりますから、聞き間違いやとらえ違いがないかどうかこれ以上ないチェックを済ませ、記事に相当な自信があったことは想像にかたくありません」(同)
しかし、石破氏は報道を全面否定した。
「良し悪しは別にして、少し前の考え方と現状との間に齟齬があっても意に介さないというのが石破氏のキャラクターだと言われています。個人的に経験はありませんが、過去の退陣報道も首相本人から確認せずになされたことはほとんどないと思います。今回も同様だったと見られていますが、辞めていない以上、誤報扱いもやむなしではありますね」(同)
権力者は孤独ということに尽きるのかもしれないが、永田町界隈では「石破氏は当時何を考えていたのだろうか」がミステリーのように語られている。「いまだ辞めないのはなぜか」と同様、明快な答えに行き着いた者はまだいないという。
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