プロ初登板でとんでもない悲劇 防御率「135.00」に満塁被弾、危険球退場…いきなり“プロの洗礼”を経験した好投手たち

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“鉄腕リリーフ”として

 大野同様、プロ初登板のリリーフでいきなり満塁本塁打を浴びたのが、ソフトバンク1年目の津森宥紀だ。

 2020年6月21日のロッテ戦、ドラフト3位ルーキーの津森は0対0の2回、先発・二保旭が中村奨吾に頭部死球を与え、危険球退場になった直後、無死満塁のピンチに緊急リリーフした。

 工藤公康監督も「用意している投手がいなかった」とボヤくまさかの事態に、ブルペンで5球投げただけでプロ初登板のマウンドに送られた津森だったが、「ここで抑えられたら」と気持ちを強く持って、打者・井上晴哉に挑んだ。

 だが、準備不足で通用するほどプロは甘くなかった。フルカウントからの8球目、148キロ直球をバックスクリーン右に特大の満塁アーチを浴びてしまう。

 プロ初登板の投手が走者を置いて第一打者に本塁打を浴びるのはNPB史上10人目だが、満塁本塁打を被弾するのは、初登板で第一打者に本塁打された先発投手も含めて、史上初の珍事だった。

 その後は「四球とかを出すより、思い切り投げて打たれたら仕方ない」と開き直り、4回まで追加点を許さずピシャリと抑えた。

 デビュー早々の災難も「自分が一人目ということですね。いいっすね」と不敵に笑い飛ばし、雪辱を誓った津森は、3日後の6月24日の西武戦でプロ初勝利。2年目以降は毎年50試合前後に登板する“鉄腕リリーフ”として、昨季まで通算15勝1セーブ71ホールドを記録した。

次なる飛躍への大きなステップに

 プロデビュー戦でいきなり危険球退場になり、あわや乱闘の騒ぎに巻き込まれたのが、中日・小林正人だ。

 2003年にドラフト6巡目でプロ入りした小林は、3年目の05年に1軍昇格をはたし、9月1日の阪神戦で4番手としてプロ初マウンドに上がった。

 前日首位・阪神に0.5ゲーム差に迫り、一気に首位浮上を狙ったこの試合は、6回を終わって1対6の劣勢。敗戦処理デビューとなった小林も、先頭のシーツに左越え二塁打を浴び、4番・金本知憲からプロ初三振を奪ったのもつかの間、今岡誠の中越え三塁打と浜中おさむの犠飛で計2点を失った。

 さらに8回にも、先頭の藤本敦士に中前安打を許したあと、桧山進次郎のヘルメットをかすめる危険球を投じてしまう。

 ボールはバットに当たり、ファウルと思われたが、森健次郎球審はその前にヘルメットに当たっていたとして、死球をコールした。

 小林は7回にも顔の高さに来るボールで金本をのけぞらせていたことから、岡田彰布監督が血相を変えてベンチを飛び出してきた。

 一触即発ムードのなか、中日・落合博満監督が故意ではないことを説明し、「何でそんなに荒れるの。こんなケースで。ましてプロ初登板のピッチャーが生き死にかけて上がっているんだ」と訴えた。だが、岡田監督は「狙ってなかったらいいんか! 『コントロールが悪いんです』と言うとったけど、それじゃ、すまんやろ」と怒りを倍加させた。

 結局、小林は危険球退場となり、同年は登板4試合で防御率7.71と不本意な成績に終わった。

 だが、翌06年から森繁和投手コーチのアドバイスでサイドに転向すると、08年以降、絶対的守護神・岩瀬仁紀につなぐ左のセットアッパーとして、11年に自己最多の58試合に登板するなど、落合中日黄金期の投手陣を支えた。

 前出の森田も、痛恨のサヨナラ負けから6日後、8月6日のヤクルト戦に先発し、6回を2安打無失点で、うれしいプロ初勝利。今回紹介した男たち同様、デビュー戦のほろ苦さを次なる飛躍への大きなステップにしている。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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