植田和男総裁が拭えない「過去の手痛い失敗」…日銀の利上げがあまりに慎重すぎる、その意外な理由とは

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過去の手痛い失敗

 日銀の現段階における政策スタンスは、交渉合意自体は「不確実性の低下」としながらも、15%関税のこれからの影響を見極める、というものだ。高関税は回避されたが、もともとゼロだった関税が15%に引き上げられており、その分は今後、経済の下押しとなる恐れがある。株式市場は楽観論から急騰するが、日銀としては「浮かれることなく、慎重に見極めたい」(幹部)のだ。植田総裁の言葉を借りると、「不確実性はなお高く、関税の影響で経済が減速に向かい、その程度を見極める必要がある」というわけだ。

 植田総裁が金融市場の楽観論に同調しないのは、過去の手痛い失敗の記憶が根強いためであろう。具体的には、2000年8月のゼロ金利解除である。当時、普及するインターネットへの期待から関連株を中心に日経平均株価は大幅に上昇。いわゆるITバブルが起きた。そうした中、日銀は政府の反対を押し切ってゼロ金利を解除。その後、ITバブルは崩壊し、翌年に量的緩和に追い込まれる失態を演じた。この解除強行は政界の日銀不信を招き、その後、アベノミクスに日銀が隷属する遠因となった。

 その頃、日銀審議委員だった植田氏が時期尚早としてゼロ金利解除に反対票を投じたのは、周知の事実だ。また、日銀内の雰囲気も憂慮したであろう。当時の速水優総裁(故人)は解除に熱心なタカ派であり、その意向を受けて執行部は金融正常化に傾斜。ITバブルに乗じて解除後も断続的に利上げを進めるシナリオを練った。中立金利が高くなる推計も行い、民間エコノミストらを集めて金融市場への織り込みを進める対話も進めた。植田氏は、トップがタカ派姿勢を示すと、強引な利上げ路線につながる弊害を思い知ったのは間違いない。

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 有料記事「なぜ『植田日銀』はハト派色が強いのか――『楽観論』の影で日銀内に広がる『年内の利上げは困難』の真贋」では、慎重な姿勢を崩さない植田日銀の「利上げ」の行方について詳報している。

デイリー新潮編集部

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